2008年10月18日土曜日

学校という場。

先日、隣の研究室のkazukiさんと話していた時にデザインの領域という話になりました。

ここでいう、デザインの領域とは、その人の持つバックボーンとでもいいましょうか。その人の経験してきたこと、体験してきたこと、知識、知恵、などデザインに反映されるであろう要素の集合体とでも言ったら理解してもらえるでしょうか。

その領域が小さければデザインの幅も小さく、大きければデザインの幅も広がる可能性があります。

それはあくまで可能性で、その幅を目一杯広げて有効活用するには技術や訓練がいるからです。

それを僕たちは大学や専門学校で学んでいるのだと僕は思っています。



エリオット・ノイスが大切なのは心のクオリティだと言っていたと10月号のAXISでゴードン・ブルース氏が言っていました。幅広い経験があればあるほど心は幅広くなるのだそうです。

ここではゴードン・ブルースは「情報は便利ですが、実践を伴った情報は叡智となる」と述べています。

これは以前、情報の再認識ヴィジョンを持つというエントリーで自分が言いたかったことで、

それをする時期がおそらくは今であり、それを体験できるのがおそらくは学校というものだと思います。

勉強や経験は社会に出てからもできると思います。むしろ社会に出てからのほうが多いかもしれません。

でも、時間をかけて、何かあったら質問できる人が身近にいて、あわよくば実践の機会が与えられる。学ぶための専門の場なのですから。


そんな場所で僕たちは、心のクオリティを日々磨いていくのだと思うのです。
どう磨くかは個人次第。

そういう場所が学校なのだと僕は思います。


話は少し変わりますが、外部の方に研究室におこし頂くとよく、

「君たちは本当に恵まれているね」と言われます。


僕自身、今の研究室は本当に贅沢な場だと実感しています。
著名な方にきていただいてお話を聞く機会をいただいたり、外との交流の場をもらったり、実践の機会をいただいたり、書物や資料も多く、環境を整えてもらっている。おまけにコーヒーと紅茶は飲み放題 笑 

なんて最高な環境でしょうか。

教授の理解もあり、隣の研究室とは仲良くしてもらっているし、ロジカルなことや感性的なことを親切に教えてもらえる。


でも、環境が整っていようとそこにいる人が動かなければ意味がない。

ここでは僕たち生徒次第であると思います。

自分のいる環境の贅沢さにいかに気づけるか。
自分の今いる環境にいかに気づけるか。

それこそが多分、学校という中で生徒が動き始めるためのキーポイントの一つな気がします。

僕自身、環境を用意してもらっている以上、すこしでも成長していきたいなと思うこの頃です。