2008年9月30日火曜日

情報の並列化

グループで作業をしていますと、たまに自分の知らない単語が出てきたりします。
そんな時に、すぐに「それってどういう意味?」って聞き返せるような人でいたいです。


最近では意識して聞くようにしているのですが、それでもたまに気後れしたり、タイミングを逃してしまうときがあります。


コンテキスチュアル・インクワイアリーのように、わからなかったらその場でその人に聞くということが大切な気がします。

それは自分が知らない単語を覚えるというだけでなく、グループ全体でその言葉の意味、定義を明確化して共有するということだと思うのです。

グループ活動においてペルソナが効果を発揮するのは、ユーザーに対して細部まで情報を共有できるからですが、ユーザー像以外にもグループで共有すべきことがあると思います。

それはたとえば、今出たような専門的な用語から、デザインの方針、姿勢などです。

そういった細かい部分こそ、初期の段階で全体で共有しておかなければあとあと大きなミスにつながったりするのではないかと思います。

デザインにおける上流工程と言われるような初期の段階での情報こそ、グループ全体で情報の並列化をしなければいけないのではないかと思うのです。

ペルソナはその並列化をするための一つの手段なのだと思いました。

2008年9月27日土曜日

ペルソナ ディスカッション。

遅くまで研究室で作業をしていると、よく友人たちとデザインについてのディスカッションに発展していきます。

特に定期的に行っているわけではないのですが、また意図してるわけでもなくなんでもない雑談からの流れでそうなっていくのが不思議であり、話している自分としても身構えずに会話に入っていけるので気に入っています。


今回は、新しく三年生が入ってくる時期でもあり、後輩たちについての話から、ペルソナをどうやって伝えていったらいいかという話になりました。

三年生は情報デザインという授業でペルソナについて学んでいくのですが、依然ほかのエントリーでも書いたように、きちんと理解する、活用するという段階にまでいける人がとても少ないと感じています。

自分たちの研究室はUXD(ユーザーエクスペリエンスデザイン)の研究室ですから、ペルソナを使うことも多いですし、せめてそういったなかで一緒にプロジェクトにかかわることも多いでしょうから後輩たちに聞かれたときに正しく答えてあげられるようにしなければいけないなと思います。

自分たちも去年、授業でペルソナ手法を学んでいて、こうしたらもっと分かりやすいのにと思うこともあったのでそういったことを踏まえ、ペルソナを学ぶときにどうすれば分かりやすいのだろう、理解しやすいのだろうということについてディスカッションをしました。

以下、その時のメモ。

・学生と、企業の人ではペルソナを教えるためのステップやアプローチは一緒ではない。

・ペルソナを使うことのメリット、デメリット(ペルソナ手法の落とし穴、危険性)を伝える。

・作ってからの活用の事例を公開できるならば公開する。

・自分の進みたい進路でペルソナを使うとしたらどこに生かせるのかを考えさせる。

・前期は、ペルソナをづくりと、ペルソナの活用の仕方に絞り、後期に、ペルソナを使ったデザインを学ばせてはどうか?

・ペルソナをデザインに反映させるってどういうことなのかを教える。

2008年9月26日金曜日

トヨタUDワークショップ サブミーティング





24日はお台場は東京テレポートにあるMEG@WEBにあるトヨタユニバーサルデザインショウケースにてトヨタユニバーサルデザインワークショップのサブミーティングに行ってきました。

このワークショップは今年の五月から始まり、最長で来年の二月まで続く長期スパンのワークショップです。
コンセプトの立案、夏期休暇を利用したユーザー調査、それを受けてのデザイン提案をし、11月の最終プレゼンテーションで、いいデザインであると認められればモックアップを作成してもらえ、ショウケースにて一年間展示をしてもらえるというものです。

今回は、せっかくの機会なので、お互いに刺激をもらうために山崎研究室と、お隣の感性デザイン研究室の生徒さんと、三年生の有志が混ざっての混合チームとして参加しました。

今年のお題は「パーソナルモビリティ」ということで、各チームフィールドワークをし、そこから得られた気づきをもとにどんなモビリティをつくるのかを検討してきました。

今回のサブミーティングでは、夏休み中に行ったユーザー調査の結果から得られたものをもとにデザインの指標を発表し、各講師陣からアドバイスや意見をもらうというものでした。



自分たちは、今回のデザイン活動を、人間中心設計のプロセスを使い、ペルソナ、シナリオ手法を使っていくことにしました。

その理由としては、人間中心設計のプロセスがそのままUDにつながる部分があるということと、それぞれ別のタイプの人間があつまり、デザイン活動をしていくということで”情報の共有化”を図るためです。

僕のチームは、HCDや情報デザインを学んでいる自分と、感性デザインの研究室でカーデザインを専攻している人、三年生は、グラフィック系のデザインを志望している人と異なる分野の人間が集まっているのでとても刺激をもらっています。

今回は各チームのデザイン指標を発表したわけですが、その中で気になることがいくつかありました。

夏休み中に得たユーザー調査の結果や、行政からもらってきた調査報告書などがあったのですが、そのデータってどのくらい信用できるものなんだろうかと思ったわけです。

例えば、ユーザーの行動パターンや、アンケート調査などでデータを持ってきましたと言われても、

だからどうしたいの?となっている部分も多いように感じました。

あれですよね、参考書を買って勉強した気になるっていうパターンです。

前にも書いたと思うのですが、プロセスに従ってユーザー調査をしました。テーマに関連するデータをもらってきました。ガイドラインに沿って実験や分析をしました。

といったところで、それでどうしたいの?というふうになってはいけない。

まさしく先日のインフォメーショングラフィックスについての話と本質は一緒だと思うのです。

データを手に入れました。じゃあそれをどう生かして、どうアウトプットに落とし込むのか。

また、そのデータは本当に信頼していいものなのかということも考えるべきなのではないかと思います。


僕はどうしても穿った見方をしてしまうのですが、企業や行政の出すデータをどこまで信用するべきだろうかと思うのです。

今回は行政のだしたデータでしたが、自分たちの行動(インフラ整備)によって安全性が増したかどうかの評価結果だったのですが、その評価自体が、いったいいつ、誰が、どうやってどんな状況で、どんな方法で行ったものなのか。

また、インタビューやアンケートの質問項目はどういった内容だったのかというところまで見ないと僕個人としてそれって自分たちに都合のいいように設定してるんじゃないかと疑ってしまいます。

特に調査や評価を行う際には仮設は必要なわけですが、その仮説に引っ張られて自分の都合のいいように調査や評価を行っているケースも多い気がします。(学生、行政、企業関係なくですが)

手段と目的が反転するというのはどの段階で、いつになっても起こりうるのかもしれません。

そのつど注意していかないといけないですね。




話は変わるのですが、りんかい線 東京テレポートの駅のエレベータですが、

この上の光っているのは実はボタンではなくただの表示で、下の車いすマークの上のボタンが実際のエレベータを呼ぶボタンになっています。

なんかもうちょっと考えたり、簡易的にでも評価を行えばわかりそうなものなのにひどいデザインです。

公共機関でのわかりやすさ、使いやすさというのはまだまだ放置された状態に近いのかもしれないですね。

2008年9月22日月曜日

横浜ワークショップ2008フォローアップ講習会

台風ですっかり風邪をひいて寝込んでいました、

親知らずを抜きました。

卒業研究も遅れ気味で、

ブログの更新も滞りなかなかうまくいかないこの頃です。


21日はワークショップ2008フォローアップ講習会へ参加するために新横浜へ。

フィールドワークをして得られた気づきをもとに横浜の地図を作るという一泊二日のワークショップだったのですが、自分たちは山下公園にいる人たちをテーマに利用者ごとの住み分けマップを作ろうとしました。

それでそのワークショップの最終提出したものがこれです↓


(CチームのMIXIコミュニティから拝借しました)

このときのコンセプトは、「山下公園を利用しているユーザーグループごとの山下公園のイメージを図示化するというものでした。




今日はインフォメーショングラフィックス(以下IG)に反映させるべきデータが前回のフィールドワークでは不十分で、集めきれていなかったので今一度調査をしようと朝早くアパートを出たのですが、横浜についてみれば台風直撃の土砂降りで、ひとの行動を観察しようにも、対象が野外のため人っ子一人いない状態でした。実際の調査から得た数値データを反映させるためカウンターまでかって張り切ってきた自分がバカみたいでした。


その後、諦めて新横浜の駅前で後輩と合流し、会場へとむかったのでした。

会場では、各チームがそれぞれ今後のアウトプットについてどうしようかとミーティングしたり、作業をしたりしていたのですが、その途中で、多摩美の吉橋先生にアドバイスを求めたときに言われたのが、

結局IGをつくったところで、「で、なんなの?」という部分が必要だということでした。

その名の通り、インフォメーションをグラフィックにするわけだからと。

山下公園の地図を作りました 



何を伝えたいのか(表現したいのか)



横浜のデートコースである山下公園には意外とおじさんたちが多くいろんな人たちが住み分けて利用している。



そのギャップや、知られていない事実を伝えたい。


とそう考えるのだそうです。

そう考えるだけでどんどんとアプローチの仕方が出てきます。

やはり自分たちがやりたいことの方向性を明確にすることで突破口が出てきたように思います。

ヴィジョンの明確化というのはやはりとても大切なことで、

勉強に完璧についていけなくなったときに

”何がわからないのかがわからない”


という状況に陥るのがいい例かと思います。


袋小路に追い込まれたときこそ、きちんと自分の中で情報の整理をして、ヴィジョンを明確にすることが大切なのではないかと思いました。

2008年9月20日土曜日

ヴィジョンをもつ-ペルソナを学ぶときに思うこと

前のエントリーの”ヴィジョンを持つ”の続きのようなものです。

前のエントリーでは、ヴィジョンを持つことで学びの成果は変わってきますよね?といった内容の記事を書いたのですが、

例えば、ペルソナ手法を学ぼうとしたときに、ペルソナ手法を使うことで得られるメリット(活用事例)というのを知識としてもっていなければ、ペルソナ手法を学んでも意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

ペルソナを使うメリットがわからなければ、どう使っていいかもわからなくなる。
授業でペルソナを来週までに作ってきてくださいと言われて作っても、自分のデザイン活動にどう生きるかというヴィジョンがなければそれは単に先生に言われたので作っただけであって、学びではなく作業なんじゃないだろかと思うのです。

ペルソナを作ったところで活用できていない。

ペルソナ手法を教える授業には、参加者としても、オブザーバーとしても何回か参加したことがありますが、授業でペルソナを扱うと大体二つのタイプに分かれます。

ひとつが「ペルソナ嫌い」タイプです。
早い話が、ペルソナが自分のやりたい事やデザインをする上での枷になってしまっている人たちです。
自分がおもしろいインタラクションやアイデアなどを思いついても、ペルソナにとってそぐわないのでジリ貧になるという状態に陥ります。(たまに授業をドロップアウトする生徒もいますが大体このタイプです)

二つ目は「ペルソナ放置」タイプです。
序 盤にペルソナを作ったにも関わらず、ペルソナの存在を放置して、自分の好きなようにデザインするというタイプです。もしくは、自分のやりたいことに合わ せてペルソナを変更していたりします。その変更がインタビューを反映したものならいいのですが、まったく無関係だと、それっていいのか?と思うときがあり ます。

デザイン活動をしていく上でペルソナが変わること自体は別にいいらしいのだけど、作った人物をどこまで変更していいのか自分はまだ勉強不足で測りきれていないです。
(下手したら人物像の改ざんになるのでは?と思うこともしばしばあります。)

授 業の人数自体は多いのですが、(僕自身勉強中の身ですが)、ペルソナを作ってそのままどうしていいか分からないから放置している人が大半を占めます。(も ちろんペルソナ手法をたった13時間でどうにかしようというのだから、自分から学びに参加しなければ理解も何もないとは思いうのですが)

プロセスにそって言われたとおり、書いてある通りにペルソナを作ったけど作ることが目的になって活用していないってのは学生も、企業さんも規模の差はあれ同じようなじょうたいなのかもしれません。

まさしく「ペルソナつくって、それからどうするの?」って状態ですね。


プ ロセスにそってペルソナを作成し、ペルソナを活用する術を知らずにそれで自分がペルソナ手法を学んだという風に認識していく。とりあえずペルソナを作れ ば、プロセスにそって”作業”したから「人間中心設計をしている。ペルソナ手法をつかって人にやさしいデザインをしている。」なんてことが広まっていくと ユニバーサルデザインのように定義もあやふやなまま世間に浸透していってしまい、広告のキャッチコピーとしてしか活用されなくなってしまうのではないかと 思うときもあります。

これがきっとUCDにかかわる方が言っている懸念なのかと思いました。

活用の仕方を理解せずにプロセスだけを学ぶということは下手したらそういった人たちを量産していることになっているのかもしれません。


ですから、自分的には最初にペルソナ手法を使うことで得られるメリットなんかを具体的な事例で教えてあげればいいのかなと思います。

ペルソナを活用する際の選択肢の一つを提示してあげればいいのではないかと思うのです。

このワンクッションを挟むことで少しは違ってくる気がします。

それも”情報を共有するためのユーザー像”といったような説明ではなく、実際にペルソナをほかの部署と共有することで、他の部署と連携することでこんなメリットがありましたというような具体的な事例であればある程いいと思います。

それはまさしく、シナリオを用いた情報共有と同じことだと思うのです。このとき実際の活用事例が公開できるなら公開したほうがいいと思います。学生にとって社会に出て学校で学んだことをどう生かせばいいのか、自分にあてはめてヴィジョンを持てるからです。

これは体験談的な話なのですが、

以前、ゼミで「ペルソナを使った企業の成功事例」をプレゼンしてくださった外部の方がいたのですが、自分はそのプレゼンを聞いて明確なヴィジョンというか、イメージをつかめた気がします。


自分から講習会やセミナーに参加するビジネスマンを相手にするのと、単位目当てが大半の学生を相手にするのはやはり勝手が違うものだと授業風景を見ていてつくづく感じます。

前者はペルソナ手法を学ぶことで自分や会社にどういったメリットがあるかを理解していて、
後者は、学校で学んだことが後の自分にどうかかわってくるか理解していないので習得に至らない。


客観的にみてもヴィジョンの有無で学びの成果というのはこうも変わってきてしまうものなのですね。

自分の研究室にももうすぐ後輩が入ってくるのですが、質問されたときにちゃんと先輩として答えられるようにしておかなければですね。

2008年9月19日金曜日

当り前のことに気が付く。

ここ最近のエントリー記事で、僕は知識だけでなく体験や経験をもとにした実感が伴わなければ理解したことにはならないのではないだろうかというようなことを書いているのですが。

なんだかんだとうだうだ書いているにも関わらず、いっていることは聞いてみれば「なんだ当たり前のことじゃないか」と思うようなことなのだと思います。

ただ、最近常々思うのは今まで22年間生きてきた中で、得てきた知識というのはあまりにもその物事の表層の部分だけなのではないかと思うのです。


当り前の事こそ説明に困りませんか?

小さい子供の「なんで?」という質問の連続に言葉が出てこないとき、自分は全然物事を理解していないんだと痛感させられました。


「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」という三浦梅園という江戸時代の思想家の方が残した言葉があるのですが、非日常的なことや、突飛なことにおどろくよりも、日常の当たり前の中にもっと驚くべきものがあるという意味でつかわれたりします。

僕が考えていることはまさにそういうことなのではないかと思います。



別に心理を探究する哲学者を目指しているわけではないのですが、たとえば自分がデザイン活動をしていく上で必要になる手法や行為の基本的なロジックは理解しておかなければうまく活用できないと思います。

手法を勉強しました。本を読んで知識を得ました。それで手法のメソッドや知識を何の疑問も持たないまま”あたりまえ”と思ってそのまま使い、手法を使ったから正しいデザインです。とはいかないのだと思います。

インフォメーショングラフィクスはあまり得意ではないのですが、そういった思考ロジックや、日常のふるまいなど、当り前のことをあえて図しかしていくというのが大切なのではないかなと思った次第です。

あんまり文章だけのブログではつまらないと思うので、なるべく図を入れつつこれからも当たり前のことを書いていこうと思う今日この頃です。

2008年9月18日木曜日

デザインのジレンマ。

デザイン活動をしていく上で、「それってデザイナーのエゴなんじゃないか?」と思うときがあります。

例えば、病院のシステムや、機器をデザインする時に面白いインタラクションや、造形ですと言われても実際にそこに長期入院している患者さんや、その家族、治療をする看護師や医師にとってそれがどれほど必要とされているかなんて思うと自分のコンセプトがひっくり返ってしまうときがあります。(友達の間ではコンセプトの崩壊なんていってますが)

よく学生なんだから奇抜なアイデアとか、自由な発想を求めるなんてことを言われたりするのだけど、患者さんたちの実情なんかを知れば知るほどコンセプトありきのデザイン(アドヴァンスドなものなど)を出していくことに引け目を感じることがあるのです。

ペルソナを使っている時も同様で、本当にそれがペルソナにとっていいものなのかと思うことが多々あります。

しかし、だからと言って問題を解決しただけのものをデザインしても、クライアントや、会社の上司からはいい顔はされない。

問題を解決するのは、別にデザイナーでなくてもできるからです。
これは友達からの受け売りですが、同様にコンセプトだけあってもそれは、アイデアを持った人ならだれでもできることなのだそうです。

ならデザイナーってなんなのだろうと考えていると、ユーザー(ペルソナ)にとって使いやすい、認知しやすい、心地よいというようなユーザーの目線と、既存の製品や、他社製品とは違うオリジナリティや造形的な美しさを上手くかみ合わせることができるそんな人のことを言うのだろうと思いました。

以前、ユニバーサルデザインについて勉強しているときに、ユニバーサルデザインはデザインマネジメントに似ているという感想を持ったことがあるのですが、それはデザイン全般にいえることなのかもしれませんね。

ここまで書いていて思い出したのですが、春ごろ、山崎先生がゼミでおっしゃっていた「三つの視点」の話を思い出しました。

それはプロのデザイナーとしてやっていく上で大切なことで、

自分の視点(自分の個性、作品のオリジナリティ)

ユーザーの視点(使いやすさ、心地よさ、他人の行動からの発見)

プロとしての視点(適切な手法やアプローチの方法、デザインを可能にするための技術)

の三つなのだそうです。

春ごろに何回かゼミで聞いていたはずなのに、こうして実際に苦しんでみるまですっかり忘れていました。それと共に、あの時教授のいっていたことを少し理解した気がします。

やはり、実感を伴わなければ知識だけあっても理解に達しないですね。

撒いた種が忘れたころに目を出したというところでしょうか。



関連記事

Smile Experience-プロデザイナーの三つの視点と合宿

2008年9月17日水曜日

ヴィジョンを持つ

以前、情報の再認識というエントリーでも書いたことなのですが、知識を得ることが決して理解に至るということではないのだなぁ、というのが最近の実感です。

知識 ≠ 理解   てことですね。

物事を理解するためには。知識と実感が必要になってくると思います。



料理に例えるなら、知識はレシピ、実感(体験)が調理、理解が料理になるという感じです。

レシピだけ知っていても、実際に何回も調理をしなければおいしい料理はできないってのと一緒なのかなと思います。

お味噌汁は沸騰させてはいけません。と言われても、実際に沸騰させて風味がとんだものを飲んだことがない人は、なんで沸騰させてはいけないのかわからない。



これってたぶん普段、自分たちが大学やゼミなどで学んでいることも一緒だと思うんですよ。

自分がいま何を勉強していて、それを学ぶことで将来的に自分がどうなるのかというヴィジョンがなければ、言われたからやってくるというようなそれはやはり勉強ではなくてただの作業なのだと思うのです。

また、ヴィジョンを持っていれば自分の行動した結果をヴィジョンと照らし合わせフィードバックをかけることができるのでやはり効率的ですね。

なにかソフトを覚えたくて教本だけ買ってきてもだめだけど、作りたいものがあって教本買ってきて作業をするとなぜかすんなり覚えられたりするのはきっと明確に作りたいもの(ヴィジョン)があるからなんだろうな。

2008年9月15日月曜日

思いやり。

以前、情報デザインフォーラム主催の横浜ワークショップ2008で、チューブグラフィックスの木村さんの講演でも何度か出てきたことなのですが。

デザインには思いやりの心が大切なのだそうです。

特にインフォメーショングラフィックスではそうだと。

製品やソフトウェアであれば、対象とするユーザーに対してどうあればいいかということを想像しながらデザインを進めていきます。

インフォメーショングラフィックスにおいてもそれはそのままあてはまり、見る人にとってどうすれば情報が伝わるかを考えるということにつながるのだそうです。

先ほど、先日の勉強会の写真をアップしたのですが、クリックすると解像度が大きく、見る人の立場になって考えられていない行為だなと自分のとった行動を反省したばかりなのでした。

それと同等にブログを始めて気づくことも多くあるのですがその中の一つに写真の扱い方があります。

ブログをする上で写真って要素はやっぱり大きくて、写真があった上での文章とない上での文章では読み手にとって印象は大きく変わります。

自分にとってのメモ代わりならいざ知らず、少なからず他人に自分の思っていることを伝えようとする際に、情報の共有をするためには実際のものがなければそれは果たされないのではないかということです。やっていることはペルソナと一緒ですね。

リートフェルトの赤と青の椅子に対して記事を書くときに、写真があるのとないのとでは、読み手にとって理解度は変わっていくと思います。

それはブログの内容にもつながっていって、初めてこのブログを見る人(情報デザインや、デザイン事態になじみのない人)にとっても読みやすい記事にすべきなのかなと思うことがあります。

わかっていることでも噛み砕いて分かりやすく記述するということは大切なことですから実践していくつもりです。

2008年9月13日土曜日

勉強会:長藤寛和さん






9月12日は長藤寛和さんが千葉工業大学まで講演会をしに来てくださいました。
(自分の所属している山崎研究室は月に一回から二回、外部のデザイナーさんを招いての勉強会があります。学生のうちからこんなに頻繁に外部の方と交流を持てるのは恵まれた環境ですね)

長藤さんは千葉工業大学のOBだそうなので先輩デザイナーさんの勉強会は今回が初めてになります。

講演会では、学生時代にやった学校の課題から、卒業してフリーになり現在の事務所を設立するまでの作品を見せていただきました。

長藤さんは学生時代にフラッシュを使った自分の所属しているデザインユニットのウェブサイトをつくり、そのサイトはメディア芸術祭で賞をもらったとか。

モーションダイブというVJのソフトを作ったり、映画の製作に参加されていたりするのですが、そのほとんどをフラッシュを使って作っているそうです。

実際に作品をいくつか見せていただいたのですが、フラッシュという普段自分たちが使っているソフトがいかに優秀で、自分たちが使いこなせていないのかを感じました。

日々精進ですね。


ご自身の事務所のCIの製作過程を見せていただいたのですが、参考になることが多かったです。

なかでも、CIの取扱説明書を作るというのは自分には新鮮でした。(プロはみんなやっているのかもしれないですが)

CIのようなブランドイメージを持つものにたいして、使い方のルールや、規格を設定しておくというのも作っておわりではなくて、その後のことまでちゃんと考えた上でのデザインだろうなと感じました。

講演会のあとは、研究室で懇親会という名の飲み会が始まります。

お酒の席ではそれぞれ入り乱れて好き勝手に話をするのですが、ここでもディープな話が聞けるのが面白いですね。

今日いらっしゃったお客さんたちはみんな今の仕事を楽しんでいる感じがして、飲み会の片づけをしながらあんな大人になりたいねと研究室の友達と話していたのでした。

今日のメモ

CIは作った後のことも考えて作る。
学生はウェブサイトを作って、作品公開すると、そこを窓口にいろんなつながりができる。
大学時代の友人関係は、社会人になってもつながっていくよ。


長藤さんの事務所のウェブサイトです↓

KANWA NAGAFUJI DESIGN

任意の点Pを探せ。

人が物事を評価する時にはいくつかのアプローチがあるのではないかと思いました。

例えば、Aという商品に対しての評価を下す際に

1.色が好きだから良い

2.流行っているから良い

3.テレビで言っていたから良い


4.Bに比べてAが良い


という四つの評価を下したとするとそれぞれ違った判断基準のもとに下された評価になります。
仮のこの判断基準を点Pとするときに




1番の”色が好きだから良い”は自分の経験を通しての主観的な判断になります。

純粋に造形や色の個人的な好みであったり、経験や習慣などからくる主観的評価になると思います。



2番の”流行っているから良い”は、自分がステータスを得る、もしくは周りみんなが持っているのだからいいものなんだろうという推測からの評価になります。ここではあくまでも判断基準は自分にあり、いったん世間的な流行と自分の現状とを照らし合わせての評価になるのではないかと思います。それは「これを持っているともてるんじゃないか」とか、「みんなが良いって言っているから買っても外れないはず」というようなものです。




3番の”テレビて言っていたから良い”は、他人の評価を自分の評価として取り入れている状態にあり、
「テレビで専門家がこう評価していたから」とか、「口コミサイトでいいって書いてあったから」といったようなAという製品を買うことに対する理由づけとしてつかわれるのではないかなと思いました。






最後に四番の”Bに比べてAが良い”という評価は、その場において見た目や機能などをAとBの間で比較して評価を下す形になっています。一対比較評価ですね。ここでの点Pは純粋に対処となるものの差異によって評価され、それを最終的に個人の好みや目的に照らし合わせて評価します。


インタビューやユーザー評価を行う際に、協力者に対して不必要な情報を与えることは先入観を与えてしまい良い評価を得辛くなるといわれますが、その先入観とは、きっとここでいう点P(判断基準)なのではないかなと思いました。

こうして考えてみると一対比較を行っている4番のような評価の仕方はあまりにも範囲が狭すぎて使いどころに困るなという印象を受けました。

「当社比30%増量」にしたって、あくまでも社内に「Aよりも30%少ないB」を用意すれば済んでしまう話なのであくまで主観的な話になってしまいます。

最終アウトプットまでにプロトタイプを三つ作り、そこからさらにひとつに絞り込むというときなんかには逆に簡単に評価できていいのでしょうけれど。

単純に手法や手順だけを覚えるのではなく、ユーザー評価などを行う際に、その下される評価がどういうロジックのもとに下されたものなのかを知ることって大切なのかもしれないですね。

2008年9月9日火曜日

情報の再認識。

今日、ある人のプレゼンを聞いていて思ったのは、

二次元であればある程度対等な位置関係も、三次元になるとずいぶんと距離感がでて上下関係のようなものがでてくるということです。

まぁ、距離感を出すために遠近法などが生まれたわけですが、身をもって実感するとまた違った感覚でそういったものごとをとらえている気がします。

最近、この実感するという感覚が頻繁に起こっている気がします。

いろんな講習会やワークショップなどで刺激をもらっているからなのかもしれないですが

知識として記憶していても、そこに実感が伴わなければ理解に至らないのだろうなと思うようになりました。

例えば、PDCAサイクルというものを僕は知っていましたが、先日のワークショップで寺沢先生の「何をみて、どう解釈し、何をつくりどう評価するか」という言葉を聞くまできちんと理解できていなかった気がします。

これらの実感は、大体自分にとって当たり前と思いこんでいるものの中に潜んでいて、自分が経験して得た知識に比べ、その情報に対しての非常に表面的な部分をさらっているだけな気がします。

それって言ってしまえば

「あの箱の中に猫がいるよ」と言われ、その伝え聞いた情報だけを鵜呑みにして箱の中身を確認していない状態なのではないでしょうか。

これらの実感に伴う再認識は”暗黙知”であったり、理解した気になっていた自分への発見なのかもしれないですね。


先ほども言ったように、これらの再認識は、自分の中で当たり前であったり、理解したつもりになっているものの中にあると思うので、最近は当たり前のことでもきちんと口に出すようにしています。

あたりまえだから見落としているということも多いですし、なにより言葉にして初めて理解できることも多い気がするからです。

しかし、この再認識がもし、ひとがより深く情報を知ろうとするための前提条件だとするのなら、事前に知識を得ておくことが大切なのかもしれません。

だとしたら、僕らは日常の中でもっと無意識に、

知識の獲得 → 経験→ 実感、再認識

というプロセスを行っているのかも知れません。


挑戦と失敗は人が何かを習得する時に必要な行為ですけれど、それってフィジカルな部分だけでなく知識や認識に理解に至るプロセスと変わらないのかもしれないですね。

情報に関して言えば、明確な失敗というものがあまりないから気付かないだけだったりして。

2008年9月7日日曜日

取り残されたリモコン。

少し間があいてしまいましたが、ここ数日実家へ帰っていました。

実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。

アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。

大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、

タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。

テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。

ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。

よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。

このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。

リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。

2008年9月1日月曜日

時間の活用。

本日は朝から晩まで、12時間以上も学校で作業をしていました。

自分が今かかわっているプロジェクトは何個かあるのですが、本日の作業はその中の一つの、トヨタユニバーサルデザインワークショップのミーティングが二日にあるため、夏休み中に分析したもののまとめをしてきました。

このプロジェクトは、自分の研究室と、隣の感性デザインの研究室、それと三年生の有志が参加しており三人で1チームになっています。

フィールドワークやオブザベーションから始まり、PPPチェックシートをもとにした既存の製品に対するヒューリスティック的な簡易評価や、筑波大の先生のところへ訪問してのインタビューなど、GDEやその他のプロジェクトでなかなかほかのメンバーとも日程が合わないのに、実は結構このプロジェクトに関しては着実に物事を進めていたんだなぁというのが振り返ってみての感想でした。

時間の活用というタイトルのエントリーなのですが、この間のワークショップでも言われたことで、限られた短い時間のなかでも効率のいい作業の仕方と、同じ時間をかけてクオリティの高いものを作るやり方ってのがあって、ちゃんとそこを抑えるべきだといおしかりをいただいていたのに、なぜかこのチームではミーティングをすると必ず12時間くらいの作業をすることになります。

現場監督的に作業を見守る役をキチンとつくるべきなのかもしれないですね。

時間を有効的に使うということと、クオリティを上げるということは密接に関係しているのですから、
普段から、時間を有効的に使うことを意識することが、自分を成長させるための近道にも思えます。

タイムキーパーではないけれど常に時計を意識するというのは大切なことですね。