今日、ある人のプレゼンを聞いていて思ったのは、
二次元であればある程度対等な位置関係も、三次元になるとずいぶんと距離感がでて上下関係のようなものがでてくるということです。
まぁ、距離感を出すために遠近法などが生まれたわけですが、身をもって実感するとまた違った感覚でそういったものごとをとらえている気がします。
最近、この実感するという感覚が頻繁に起こっている気がします。
いろんな講習会やワークショップなどで刺激をもらっているからなのかもしれないですが
知識として記憶していても、そこに実感が伴わなければ理解に至らないのだろうなと思うようになりました。
例えば、PDCAサイクルというものを僕は知っていましたが、先日のワークショップで寺沢先生の「何をみて、どう解釈し、何をつくりどう評価するか」という言葉を聞くまできちんと理解できていなかった気がします。
これらの実感は、大体自分にとって当たり前と思いこんでいるものの中に潜んでいて、自分が経験して得た知識に比べ、その情報に対しての非常に表面的な部分をさらっているだけな気がします。
それって言ってしまえば
「あの箱の中に猫がいるよ」と言われ、その伝え聞いた情報だけを鵜呑みにして箱の中身を確認していない状態なのではないでしょうか。
これらの実感に伴う再認識は”暗黙知”であったり、理解した気になっていた自分への発見なのかもしれないですね。
先ほども言ったように、これらの再認識は、自分の中で当たり前であったり、理解したつもりになっているものの中にあると思うので、最近は当たり前のことでもきちんと口に出すようにしています。
あたりまえだから見落としているということも多いですし、なにより言葉にして初めて理解できることも多い気がするからです。
しかし、この再認識がもし、ひとがより深く情報を知ろうとするための前提条件だとするのなら、事前に知識を得ておくことが大切なのかもしれません。
だとしたら、僕らは日常の中でもっと無意識に、
知識の獲得 → 経験→ 実感、再認識
というプロセスを行っているのかも知れません。
挑戦と失敗は人が何かを習得する時に必要な行為ですけれど、それってフィジカルな部分だけでなく知識や認識に理解に至るプロセスと変わらないのかもしれないですね。
情報に関して言えば、明確な失敗というものがあまりないから気付かないだけだったりして。