2008年9月20日土曜日

ヴィジョンをもつ-ペルソナを学ぶときに思うこと

前のエントリーの”ヴィジョンを持つ”の続きのようなものです。

前のエントリーでは、ヴィジョンを持つことで学びの成果は変わってきますよね?といった内容の記事を書いたのですが、

例えば、ペルソナ手法を学ぼうとしたときに、ペルソナ手法を使うことで得られるメリット(活用事例)というのを知識としてもっていなければ、ペルソナ手法を学んでも意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

ペルソナを使うメリットがわからなければ、どう使っていいかもわからなくなる。
授業でペルソナを来週までに作ってきてくださいと言われて作っても、自分のデザイン活動にどう生きるかというヴィジョンがなければそれは単に先生に言われたので作っただけであって、学びではなく作業なんじゃないだろかと思うのです。

ペルソナを作ったところで活用できていない。

ペルソナ手法を教える授業には、参加者としても、オブザーバーとしても何回か参加したことがありますが、授業でペルソナを扱うと大体二つのタイプに分かれます。

ひとつが「ペルソナ嫌い」タイプです。
早い話が、ペルソナが自分のやりたい事やデザインをする上での枷になってしまっている人たちです。
自分がおもしろいインタラクションやアイデアなどを思いついても、ペルソナにとってそぐわないのでジリ貧になるという状態に陥ります。(たまに授業をドロップアウトする生徒もいますが大体このタイプです)

二つ目は「ペルソナ放置」タイプです。
序 盤にペルソナを作ったにも関わらず、ペルソナの存在を放置して、自分の好きなようにデザインするというタイプです。もしくは、自分のやりたいことに合わ せてペルソナを変更していたりします。その変更がインタビューを反映したものならいいのですが、まったく無関係だと、それっていいのか?と思うときがあり ます。

デザイン活動をしていく上でペルソナが変わること自体は別にいいらしいのだけど、作った人物をどこまで変更していいのか自分はまだ勉強不足で測りきれていないです。
(下手したら人物像の改ざんになるのでは?と思うこともしばしばあります。)

授 業の人数自体は多いのですが、(僕自身勉強中の身ですが)、ペルソナを作ってそのままどうしていいか分からないから放置している人が大半を占めます。(も ちろんペルソナ手法をたった13時間でどうにかしようというのだから、自分から学びに参加しなければ理解も何もないとは思いうのですが)

プロセスにそって言われたとおり、書いてある通りにペルソナを作ったけど作ることが目的になって活用していないってのは学生も、企業さんも規模の差はあれ同じようなじょうたいなのかもしれません。

まさしく「ペルソナつくって、それからどうするの?」って状態ですね。


プ ロセスにそってペルソナを作成し、ペルソナを活用する術を知らずにそれで自分がペルソナ手法を学んだという風に認識していく。とりあえずペルソナを作れ ば、プロセスにそって”作業”したから「人間中心設計をしている。ペルソナ手法をつかって人にやさしいデザインをしている。」なんてことが広まっていくと ユニバーサルデザインのように定義もあやふやなまま世間に浸透していってしまい、広告のキャッチコピーとしてしか活用されなくなってしまうのではないかと 思うときもあります。

これがきっとUCDにかかわる方が言っている懸念なのかと思いました。

活用の仕方を理解せずにプロセスだけを学ぶということは下手したらそういった人たちを量産していることになっているのかもしれません。


ですから、自分的には最初にペルソナ手法を使うことで得られるメリットなんかを具体的な事例で教えてあげればいいのかなと思います。

ペルソナを活用する際の選択肢の一つを提示してあげればいいのではないかと思うのです。

このワンクッションを挟むことで少しは違ってくる気がします。

それも”情報を共有するためのユーザー像”といったような説明ではなく、実際にペルソナをほかの部署と共有することで、他の部署と連携することでこんなメリットがありましたというような具体的な事例であればある程いいと思います。

それはまさしく、シナリオを用いた情報共有と同じことだと思うのです。このとき実際の活用事例が公開できるなら公開したほうがいいと思います。学生にとって社会に出て学校で学んだことをどう生かせばいいのか、自分にあてはめてヴィジョンを持てるからです。

これは体験談的な話なのですが、

以前、ゼミで「ペルソナを使った企業の成功事例」をプレゼンしてくださった外部の方がいたのですが、自分はそのプレゼンを聞いて明確なヴィジョンというか、イメージをつかめた気がします。


自分から講習会やセミナーに参加するビジネスマンを相手にするのと、単位目当てが大半の学生を相手にするのはやはり勝手が違うものだと授業風景を見ていてつくづく感じます。

前者はペルソナ手法を学ぶことで自分や会社にどういったメリットがあるかを理解していて、
後者は、学校で学んだことが後の自分にどうかかわってくるか理解していないので習得に至らない。


客観的にみてもヴィジョンの有無で学びの成果というのはこうも変わってきてしまうものなのですね。

自分の研究室にももうすぐ後輩が入ってくるのですが、質問されたときにちゃんと先輩として答えられるようにしておかなければですね。