2008年9月18日木曜日

デザインのジレンマ。

デザイン活動をしていく上で、「それってデザイナーのエゴなんじゃないか?」と思うときがあります。

例えば、病院のシステムや、機器をデザインする時に面白いインタラクションや、造形ですと言われても実際にそこに長期入院している患者さんや、その家族、治療をする看護師や医師にとってそれがどれほど必要とされているかなんて思うと自分のコンセプトがひっくり返ってしまうときがあります。(友達の間ではコンセプトの崩壊なんていってますが)

よく学生なんだから奇抜なアイデアとか、自由な発想を求めるなんてことを言われたりするのだけど、患者さんたちの実情なんかを知れば知るほどコンセプトありきのデザイン(アドヴァンスドなものなど)を出していくことに引け目を感じることがあるのです。

ペルソナを使っている時も同様で、本当にそれがペルソナにとっていいものなのかと思うことが多々あります。

しかし、だからと言って問題を解決しただけのものをデザインしても、クライアントや、会社の上司からはいい顔はされない。

問題を解決するのは、別にデザイナーでなくてもできるからです。
これは友達からの受け売りですが、同様にコンセプトだけあってもそれは、アイデアを持った人ならだれでもできることなのだそうです。

ならデザイナーってなんなのだろうと考えていると、ユーザー(ペルソナ)にとって使いやすい、認知しやすい、心地よいというようなユーザーの目線と、既存の製品や、他社製品とは違うオリジナリティや造形的な美しさを上手くかみ合わせることができるそんな人のことを言うのだろうと思いました。

以前、ユニバーサルデザインについて勉強しているときに、ユニバーサルデザインはデザインマネジメントに似ているという感想を持ったことがあるのですが、それはデザイン全般にいえることなのかもしれませんね。

ここまで書いていて思い出したのですが、春ごろ、山崎先生がゼミでおっしゃっていた「三つの視点」の話を思い出しました。

それはプロのデザイナーとしてやっていく上で大切なことで、

自分の視点(自分の個性、作品のオリジナリティ)

ユーザーの視点(使いやすさ、心地よさ、他人の行動からの発見)

プロとしての視点(適切な手法やアプローチの方法、デザインを可能にするための技術)

の三つなのだそうです。

春ごろに何回かゼミで聞いていたはずなのに、こうして実際に苦しんでみるまですっかり忘れていました。それと共に、あの時教授のいっていたことを少し理解した気がします。

やはり、実感を伴わなければ知識だけあっても理解に達しないですね。

撒いた種が忘れたころに目を出したというところでしょうか。



関連記事

Smile Experience-プロデザイナーの三つの視点と合宿