2009年5月19日火曜日

地球の聴診器プロジェクト

何回か、言っていることなのですが、一昨年21-21でやっていたWater展の連動企画?のようなもので地球の聴診器プロジェクトというものがあったのですが、そのサイトであるaqua scapeというサイトをたまに訪れます。

地球の聴診器プロジェクトとは、世界中の水に関わる場所にマイクを設置して24時間、リアルタイムでその音をネット配信するというものです。

このプロジェクトの狙いは、世界中の水の在り方をウェブカムなどではなく、音を通して気配として感じてもらうと言うのがこのプロジェクトの狙いらしい。

正直、それが成功しているかと言われるとどう答えていいのか解らないのだけれども。

このプロジェクト。今のところ世界中で4つのマイクが仕掛けられている。

日本には二つあり、一つは東京大学の三四郎池。
もう一つは京都にある相国寺の水琴窟。

他にはインドのムンバイに一つ。

あと何故か知らないけれどアメリカはサンフランシスコにあるIDEOのオフィスに仕掛けられている。

最初の三つに関してはクリックするとそこがどのように水と関連しているモノなのかという説明などが出るのだけれど、IDEOのオフィスだけは時折、カタカタとキーボードを打つような音だけが聞こえてくる。

水に関係しているとも思えないし、イースターエッグ的な要素なのかと思いきや、普通に発見できるし。
三四郎池なんかはたまに周囲の人の声や鳥の鳴き声なんかが聞こえるのだけれど、ここからは人の声も聞こえずなんだか、単に盗聴しているような気分になる。


水琴窟なんかはその日の天候なんかで聞こえ方が凄く変わるし、不思議な感じがして面白いが、それ以外に関しては水という気配をなかなか感じられなかった。

ウェブカメラでの監視システムなんかは普及しているけれど、マイクによる中継と言うのも面白いなと感じた。確かに、時として視覚よりも聴覚のほうが把握しやすいし、受取方に個人差がある分、聴覚のほうが想像しやすくていい場合もあるだろう。

たとえば、台風の海なんかはウェブカメラの映像だけみても他人事だけど、暴風や雨の音などが聞こえたなら映像より恐怖や危機感を感じるかもしれない。

たとえば、遊園地や動物園なんかで、人気のアトラクションや、動物の前にマイクを仕掛けておけば、園内に流れる楽しげなBGMや、動物の仕草に喜ぶ子供たちの笑い声なんかが聞こえればそれは十分なPRになるのではないかと思った。


実際にwater展開催中に、デザインタッチとの連動企画で行われた「何故デザインで水なのか?」というタイトルのカンファレンスでは、視覚に偏った世の中のメディアや生活に疑問を持ってみたらどうかという話も出た。

先程も言った通り、聴覚というものは視覚以上に人のエモーショナルな部分に働きかけるような気がする。

視覚とは提示された情報を正確に受け取ってしまうがために、受け取り手の感情や思惑が入り込む余地が無いのかもしれない。


たとえば、ミッキーマウスの絵を見せるより、ディズニー特有のBGMを流したほうが人は楽し気な印象を受けるのではないだろうか。

どちらもディズニーランドには欠かせない要素ではあるけれど、ミッキーはミッキーとしてしか認識出来ないのではなかろうかと思うわけです


思いを馳せる。

気配を感じる。



どちらも目を瞑って行われることが多いことから、ヒトの感情的なものを主体とする行為に置いて、視覚というのは時に邪魔な情報となってしまうのかもしれません。


また、どちらも一方的に情報を得ただけでは成しえない能動的なもののように感じます。


HAPTIC展という原研哉さんの行った展示会がありましたが、触角だけでなくヒトの感覚機能を喜ばせるようなデザインというのが、テクノロジーの進歩と共に、必要になってくる気がします。


チャップリンのモダンタイムスではないですが、人間の側が技術に取り残されないように、親和性を良くするという意味も込めて、身近な存在として必要になってくるのかもしれません。

2009年5月17日日曜日

理解→導入

院に進学したので、修士論文のテーマ設定、研究計画などを作っています。

一応、今一番考えているのが



「ユーザー・エクスペリエンス・デザインの為の手法または補助ツールの研究」




というものなのですが。

院の研究をどうしたものかと、ずっと考えていたわけですが、どうせ研究するなら後々役に立つものがいいなと考えていたわけです。

そこで、あることを思い出します。

それは去年のトヨタUD学生ワークショップに参加した際のことです。



グループ参加だったので三人一組になったのですが、グループ編成が、自分、隣の研究室の生徒、一つしたの学年の生徒という編成で、人間中心設計であったり、ユーザーエクスペリエンスデザインであったり、そういったものを利用してデザインするという経験をもつのが自分だけだったのです。

グループ活動ですので、自分だけ

「ペルソナ使おうぜ、人間中心設計だぜ」


と勇んでみても、そう言ったものに触れたことが無い人にとっては



「え、なにそれ、いきなりそんなこと言われても俺知らないんだけど」

「ペルソナは聞いたことあるけどその効果ってあんの?対象ユーザー決めるなんてデザイナーならみんなやってるじゃん。何いってんのこの人?」


といった感じに冷めた反応を返されるのがオチなのです。
(実際のメンバーは中が良い人だったのでそんなことはなかったのですが)


それで最初の5回のミーティングの殆どを使って

HCDって何?

どうやるの?

どういった効果があるの?


といったことを、過去の授業資料や研究室の資料をあさり、慣れない勉強会というかワークショップのようなものをしてなんとか残りの二人を引き込むことに成功したのです。(今思えばワークショップというのもおこがましいですね)

とにかくUCDを知らない人と一緒にデザイン活動をする場合において、どうしてもアウェイな感じは否めないわけですよ。

かといって、一人で孤軍奮闘しても効果はあまり得られないわけです。
そのデザインを担当している沢山の中の一人が行動に起こしても他の人たちがそれを無視していたら効果は無いどころか、足並み乱してむしろマイナスの結果になったなんていったら目も当てられませんしね。


外部の方の講演なんかを聞く機会がうちの研究室は多いのですが、そう言った方たちの話には、UCDを導入しようと思っているけどなかなか上手くいかないという話は多いようです。


ですので、そういったUCDを知らない人たちとデザインする場合でも、知識のない人たちが少しでもUCDに参加していけるような手法、もしくはサポート出来るようなものを作れないかと考えたわけです。

恐らく二年では本当に納得いくものが出来ないかもしれませんが、たたき台くらいは作って卒業したいなと思っています。


そうすれば作ったものをもって自分も会社勤めするときにもっていけますし、それを使いながらバージョンアップもできるだろうしいいかもなんて考えたわけです。

一応、先生からはOKを貰っているのでこの方針でいこうかと思います。


一応、今考えているニーズとしては新しくUCDを導入したい会社などを考えています。

期日とかコストとか、企業的に時間も金も浪費できない、それでもどげんかせんといかん。(←一度使ってみたかっただけです。ネタ的には古いですが)

そんな状況でどうにかしなければ!!的なね。

でもそう考えると、某大学のHCDブートキャンプ見たいにワークショップの教育カリキュラムのようなものになったりするのではなかろうかと、何処かで思っている次第であります。


勿論、そういった研究をする上で自分自身もまだまだ勉強不足なので勉強していくつもりではあるのですが、もしこれを御覧になっている方の中で



「UCDを導入する際に体験した俺の苦労話を聞かせてやる」

「そんなんじゃだめだ。こうしなきゃ相手は納得してくれないよ」

「ここはこうした方がいいのではないか、こういう点には気をつけなさい」



などなど、アドバイスや経験談などを語ってくださる方がいれば、コメントか、プロフィール欄からメールを頂けると大変ありがたいです。小躍りします。


実際の現場の声を社会を知らない大学院生に教えてやるぜ!!という方は是非にお願いします。

2009年5月15日金曜日

条件反射と記憶とスマイルデザイン。

条件反射ということについて考えてみました。

そうです、あのパブロフの犬で有名なあの条件反射です。

有名な話ではありますが、パブロフの犬とは何ぞや?という人のために簡単に説明しますと、


  1. 犬に餌を与える前にベルなどで音を聞かせる。
  2. 犬は餌を食べる時に唾液を出す。
  3. 1と2を繰り返す。
  4. 今度は餌を与えずにベルを鳴らす。
  5. ベルの音を聞いただけで唾液を出す。

というものだったらしいです。


さて、この条件反射がどのようにデザインに関わってくるかというと、たとえば、UD的な話をするのであればヒューマン・エラーを防止するために人間の日常的な反射(条件反射も含め)を取り入れるなんていうことがあげられるかも知れません。

以前、このブログでも取り上げたように昨年はトヨタUD学生ワークショップに参加したのですが、その時に「(シニアカー)ブレーキは、人間が危機的状況に陥った時に身体が強張る(手を握り締める)ため、引っ張ることでブレーキがかかるようになっている」という事例を聞いたことがあります。

この場合は普通の反射ですが。


条件反射とはその名前に通りに、反射を起こすための条件付けが必要になってきます。

犬などに芸を教えるときは、大概この方法をとっているように思います。

自分も実家に犬を飼っているのですが、お手なんかを覚えさせるときは、

  1. 前足を差出た掌に無理やり乗せる
  2. 褒めて餌をあげる
  3. 1,2を繰り返す
  4. 犬の前に手を差し出す
  5. 犬は、手を乗せると褒められる、もしくは餌が貰えると思い手を乗せる

となっていたように思います。


こう考えると、普通に学習というものもこのようなルーチンを通しているのかも知れません。

小さい子供が、何をしたら褒められて、何をしたら怒られるのか。
そういったことを、自分の中で過去の事例から取捨選択をしてその中で自分のベストと思われる行動を選択するわけです。


つまり


  1. 選択を迫られる
  2. 状況を確認する
  3. 過去の自分の体験を照らし合わす
  4. 行動を起こす

こうして、1から4を繰り返し行うことで、行動の善し悪しを問うバックアップのデータが蓄積され、よりその行動は正確になっていく。

それがつまり精神的に成熟していくということなのではないでしょうか?



勿論人の記憶や感情にもそういった条件付けが可能であるとされています。



以前書いた、追憶型エクスペリエンスでも少し書いたのですが、人の思い出や記憶を関連付けた体験というのはこういった条件反射であったり、いわゆるエピソード記憶が関わってくるのだと思います。



早い話が、人の行動や体験に条件付けをし、その条件を満たしたときにエピソード記憶を引っ張り出すような何か(モノやサービスや体験)をデザインする。


このようにかくと随分と強引なもののように聞こえますが、たとえばその引き出されるエピソード(体験)からデザインしてあげればいいのではないでしょうか。


そのエピソードがより、ユーザーにとって心地よい、楽しいといったものであるようにデザインするのが大切なのかなと、ふと思いました。