2008年11月29日土曜日

感動とは変わること。

以前、学校という場というエントリーの中で、心のクオリティという話に触れました。

人の心(感性など)は多くの体験や経験をへてクオリティをアップしていくという話です。

もとはエリオット・ノイスが口にしていた言葉だそうですが、この単語が気に入っていてよく使っています。


自分の好きな写真家さんで、もう亡くなってしまったのですが星野道夫さんとう方がいました。

星野さんはアラスカでオーロラやそこに住む動物たちを撮り続けた方なのですが、最後は写真を撮っている最中にグリズリーに襲われて亡くなってしまいます。

ぼくが最初に購入した写真集は、秘蔵のフィルムと彼のエッセイを混ぜた追悼のためのメモリアルブックでした。この本は奥さんが監修されたようです。

その中の一説にこんな言葉があって今でもずっと印象に残っています。


星野さんはある友人とこんな会話をしたそうです


「もし、どうしようもなく見ているだけでなきたくなってしまうような夕焼けを見たときにどうやったら自分の愛する人や、家族、親しい人たちにその感動を伝えることがだろう?君ならどうする?」

「そうだな、手元にカメラがあれば写真をとるかも知れないし、絵を描く才能があったなら絵をかくかもしれない。言葉で伝えてもいいかもしれない、でもどれもその時の感動を伝えられないかもしれない」

「僕が思うに、それには自分が変わることだ。その感動を受けて自分が変わっていくことが一番人にその感動を伝えられる」


心のクオリティという単語からはこの話をいつも思い出します。

本当に、心が打ち震えるような感動にはそれだけの力があると思います。
それを糧にできたならその人の人となりににじみ出てきます。

心のクオリティはそういった感動をもとに経験知を重ね、変化を何回も重ねていくことで上がっていくのだと僕は思うのです。

また、感動とは本来、受け身ではなくもっとアクティブなものであってもいいのかなと自分は思います。