気がつけば、セイコーのPower design projectが出てました。
このプロジェクト結構好きで見ています。
今年は東京の町の名前がついた時計のようです。
以前、このプロジェクトの話を友人としていたときに思ったことがあります。
それはお客様にとってのデザインとデザイナーにとってのデザインはけっして同じではないということです。
このプロジェクト、あるデザイナーさんは「デザイナーのお遊び、おふざけ」と言います。
厳しい人なら「こんなものデザインじゃない」とまで言うそうですが……。
でも、それらはみんなデザイナー側の目線です。
一般のお客様、消費者からすれば立派にデザインされたものになります。
消費者の求めるデザインとはなんなのか?
今の世間の感じですと「他の人とは違う」というある種ブランド的なポジションにいる気がしてなりません。
造形によって付加価値をもたらすという意味ではいいのかもしれませんが、それだけがデザインではないはずです。
デザイナーズの商品はかっこいいけど使いづらい
と僕の友人たちはよく言います。
それが今の世間の人たちのデザインに対する感想なのかもしれません。
携帯電話のデザインなんかは特にそうですが、有名デザイナーの方が手がけたものほど町中で使う人を多く見かけるというこの矛盾。
携帯電話は確かに若い人のアイデンティティですからそうなるのもわかるのですけれどね。
常に持ち歩いて、友達の眼に触れることの多いツールですから納得です。
そのため、携帯電話の世界にはブランド携帯やデザイナーズ携帯、デコ電などなど他社と自分のものを差別化するものがたくさんあります。
最近ではデコレーションをするためにあえてフラットな携帯が売れているとか。
ブランド物でもデザイナーズのものでも大量生産しているわけですから、だれか同じものを持つ人がほかにいるのは当たり前です。
なので、メーカーには期待せず、自分でつくるデザイナー不要の流れに一部なってきているのだと聞きます。
企業としては儲けを出さなければいけないので、売れるものを作らなければいけないわけですが、だからと言って消費者の要望に答えていくだけではそこに発展性など求められない。
問題解決型のデザインから、消費者へ提案していくヴィジョン提案型のデザインへという流れになってきている気がします。
商品(プロダクト、環境、情報、サービスなどにたいしての)新たな価値や経験の創造、提案。
それが巷で話題のイノベーションというカタカナ語の一つの答えな気がしてなりません。
デザインとはデザイン関係者だけがわかる、賞賛するというものではない気がします。
イノベーションが新たな社会的な価値、経験の創造だというのなら、そのデザインは人々の生活に近くなければ果たされないでしょう。社会は人が集まって成り立っているわけですから。
また、逆を言えばイノベーションをする際に、消費者側に受け入れる土壌がなければイノベーションをしたところで成功はしないとも言えるかもしれません。
タッチパネルが浸透していなかったら、iphoneやDSは受け入れられなかったかもしれません。
イノベーションが開発側からのヴィジョンの提案であるならば、それを受け入れるための消費者の認知やインフラや文化、地域特性などの、また地球規模での環境問題すらもその範疇に入るべきでしょう。
イノベーションとカタカナで聞くとなんとも素晴らしく感じますが考えるべきことはたくさんありますね。