2008年11月11日火曜日

ユニバーサルデザインについて2



道と私有地の段差をなくしても、入口が自動ドアじゃなければ車椅子やベビーカーの人にとってこのお店は遠いものになってしまう。




ユニバーサルデザインについてのまとめ二回目です。


前回はUDとはデザインの概念であるという話をしました。

今回は「パブリックとパーソナルについて」です。

今回のトヨタUDワークショップのテーマはパーソナルモビリティでしたが、多くの学生たちがUDとパーソナルというものがどうつながるかについて頭を悩ませました。


UDというとどうにもパブリックなものに意識が行きがちです。



なぜかというと、公共のものほど多くの人が使うものだから。



と、いうよりも、理想をいうのならばその公共施設を利用するすべての人に使えなければいけないのです。



なぜならば公共施設はみなさんが働いて払っている税金をもとに作られているからです。



言ってしまえば、国民みんなにその権利があるのに、利用状況に差があってはいけない。



その施設を使うにあたっての近づきやすさ(アクセシビリティ)は理想を言えば平等であるべきだと思います。



公共施設に適用されるアクセシビリティとパーソナルなプロダクトに適用されるUDとは同議なのかと言われるとそうではないように感じます。


パーソナルUDとパブリックUDと仮に呼称して、説明します。

僕が思うにパーソナルUDとパブリックUDの一番の大きな違いは、多くの人に利用可能なデザインにするために、他のユーザーの利用への満足度を下げたり、プロダクト自体の機能に制限がかかる場合がパブリックUDにはありえるということだと思います。



前のエントリーで僕はUDとは多様なユーザーニーズの平均値をとることではないといいましたが、公共物へのアクセシビリティを考慮する際にはそういった事例が存在する気がします。



その良い例が多機能トイレだったりするのかも知れません。


簡単にまとめるとこうなります。






おそらくUDへ持っていくためのアプローチの違いが表れているのだと思います。

パーソナルUDの場合、最初に個人にとっての問題解決、使いやすさが重視され、そこを突き詰めることにより周りの人間にとっても使いやすいものになっていきます。



まず最初に対象ユーザーありきです。UDの基本理念は最初からバリアを作らない設計ですが、対象ユーザーを決めたからといってその他のユーザーにとってバリアができるかと言われると必ずしもそうでないと思います。

早い話がやり方次第。



まず最初にユーザーの問題解決から入っていくという点ではバリアフリーと言えるでしょう。



多くの書籍や人がいっているように、バリアフリーとは、UDを実践する際の途中段階であると僕も思っているので、ここではそういった前提で話をしています。



まず最初に誰を救うのか、それを決めてからそのプロダクトのキャパシティの許す範囲で多くの人に使いやすいようにデザインしていきます。



最初に誰のためのデザインなのかを設定する
ので、だからHCDやペルソナ手法はUDに使われています。



次にパブリックUDの場合、最初にできるだけ多くの人が使えるように設計し(いわゆる平均値的なデザイン)、その後、どのユーザーのために特化していくかという流れになるのだと思います。(多くのパブリックUDは初期の段階でストップしているように感じます)







このようにUDと一口にいっても、対象物の立ち位置や人や物との関係によってアプローチの仕方が変わっていくべきなのだと僕は思います。






別に平均値的なデザインを否定するわけでもなんでもないのですが、あまりにも盲目的にそれをする傾向にあるように僕は思います(企業も学生も)。

用途によってどちらに比重を置くかということを考えましょうということなのではないでしょうか。

なんでもかんでもUDとはこうじゃなければいけないなんて言う必要はないのだと思います。


まとめ

・パブリックとパーソナルではUDのアプローチは変わってくる。

・バリアフリーはUDに発展する途中の段階である。UDに発展するためにはユーザーを深堀したデザインが必要です。