2008年12月6日土曜日

ユニバーサルデザインについて 3 

昨今、金銭的な格差問題が取り上げられていますが、それと同じくらい今、情報の格差というものが起こっていうるといわれています。

テレビやラジオ、新聞といったマスメディア系のもの以外にも、WEBや携帯電話なんかがそこに入ってきたことで、プロフやmixiに代表されるようなブログ形式のものや、WEB2.0といわれるようなユーザー発信の情報というものが増えてきています。

そういった背景から、今までとは比べ物にならないほど世の中には情報があふれ、こちらからあえて情報を取得しに行かなければ得られない情報などもあり、情報収集に意欲的な人と。そうでない人の間に大きな格差が生まれるということらしいです。

また、情報を持たない人、知るすべを持たない人たちのことを情報弱者なんていう言葉で語るような場合もあります。

こういったPCなどにより情報を収集活用できる人と、PCを持たない、またうまく操作できない、インフラが整っていないなどさまざまな条件により情報の活用ができない人との間では、情報を持つ、持たないということで社会的な格差が生まれてしまうことをデジタルデバイドなんていったりするそうですが、情報の格差がそのまま社会的な格差(金銭やサービスの享受)へもつながるなんて話を聞いてしまうと、情報化社会なんてメディアの中でしか聞いたことのないような単語が事実、今の社会をきちんと表しているなと実感します。

また、情報を収集するだけで、そこから実際にその情報を使う人がどれほどいるかというとグンとパーセンテージは低くなりそうですね。

昨今、情報のユニバーサル化という話を耳にするのですが、このような背景があれば納得できるというものです。身体的な問題で、WEBを利用するのが困難なかたや、PCや新しいサービスにうまく適応できない人など様々な人がいるわけですから、その人にまず情報を入手できる環境を作ること。

そして、情報のUDとはその情報を活用するところまで範囲は及ぶ気がします。

①情報を入手する   デジタルな問題

②情報を活用する。  フィジカルな問題

この情報を活用するというところまでできなければ、ユーザーにとって歯がゆいままですよね。

また、情報の活用とは結局のところその多くがフィジカルな問題でもあったりします。
なんだフィジカルな問題であるなら、今までのパブリック的なUDでいいじゃないかと思われるかも知れませんが、この①と②の間をつなぐ1.5があるかないかがカギになってくると思います。

先ほど、情報を入手してから活用するまでに一気にパーセンテージは減るだろうという話をしたのですが、それは①と②をつなぐ間にはいくつもの障害があるからであると僕は思います。

たとえばそれは純粋に面倒くさいということかもしれないですし、
精神的なものかもしれません。
金銭的かもしれませんし、時間的な余裕や、手段の不足なのかもしれません。

情報に限らずUDという言葉はなぜかその場限りやその場しのぎの解決に向きがちであると思います。

たとえば、僕のいた高校ではエレベータがないのになぜか二階に車いす用のトイレがありました。
それはもしかしたら県立の高校だったので、条例的な問題で形だけ取り入れただけなのかもしれません。

①の部分だけのUDとはたとえばそれは
ECサイトで商品は見つけやすいけど、めちゃくちゃめんどくさい手順を踏まなきゃ購入できない。そんな状態なのかもしれません。

商品を見つけたあとの購入までやって初めて情報のUD化となるのかなと思いました。