最近、考えているのはオリジナルのツールを作ることです。
年末にかけて多くの方が我が研究室に来てくださいました。
その中には企業さんも沢山いらしたのですが、その方々が人間中心設計と関わる際に自社で製作したオリジナルのツールなども見せていただきました。
それらをみて思ったのが、一口に人間中心設計といっても、使う人それぞれにとってスタンスも目的も利用の仕方も異なっていて、それぞれのやり方に対して追及していった結果、オリジナルのサポートツールが作られているということです。
もちろん、それはカレーと一口にいっても、それぞれの家にそれぞれのカレーの味があるのといっしょです。おんなじカレールーを使っていても、味はぜんぜん違うものになってしまいます。
でも、その家で育った人にとって一番舌になじむ味というのはその家のものです。
それと同様に使いやすさというものを求めていくと、最終的にはオーダーメイドに勝るものっていったいどれだけあるのでしょうか。
それぞれの企業で、大学でUCDへの取り組み方というのは異なってきているのだから、それらをサポートするオリジナルツールというものが出てくるべきだと思いました。
それらの話を前提に、研究室の先輩方とお昼ご飯を食べているときに、話を振ってみたらうちの研究室にもいくつかやはり必要なツールというものがあるんじゃないかという話になりました。
UCDを学ぶ上で、研究室という単位で活用していくうえで、今のうちの研究室で問題となっていることをいくつか洗い出してみました。
すると大きく分けて、二つの問題点が上がりました。
それは以下のようなものです。
1. ペルソナを作っても活用しきれていない
2.UCDを一連の流れとして知っていても、応用ができない。
1のペルソナを作っても活用しきれていないというのは、ペルソナをコンセプトの抽出にしか使っていないということです。よくよく考えてみればペルソナを作成したところで、どのように活用しているかと考えてみたときに、コンセプトや五つの提供価値を導き出すためだけに使われている感がすごく強いことがわかりました。それってすごくもったいないことだし、提供価値などを導き出して以降はそれらのキーワードのみをみて作業してしまうのだったらそのキーワードに書かれた前後の文脈はどこにいったの?という話になっていってしまいます。
また、そのようにしていった場合、ペルソナの存在を忘れて上司や担当の教員によってデザインの修正がおこなわれていった場合は、その上司や担当の教員の好みにあったデザインへと変わっていってしまうのではないかという恐れもあります。その上司や教員がペルソナと同一である場合を除いてそれはUCDであると言えるのでしょうか。
次に、2のUCDを一連の流れとしてしっていても応用ができないというものについてですが、こちらに関しても、ものすごく簡潔に行ってしまえば、プロセスや手順は理解しているけれど、何のためにそれをするのかよく理解していない。という状況であると思います。
言われたからやりましたという典型的な例であるといってもいいでしょう。
僕たちの研究室はUXD(ユーザーエクスペリエンスデザイン)研究室です。なので、ペルソナを作ることも多いのですが、教授がつくれっていったから作ってきた。なんて感じでいる人も多いのではないのでしょうか。またトヨタUDにおいて普段UCDと関わらないほかの分野の人たちと共同作業を行った時も、気をつけなければ作れって言われたから作りましたということになりかねないという気がしました。
ですので、UCDには6つの段階があり、それぞれの段階で具体的に何をして、どのようなことを調査すればよいのか、またその調査方法にはどんな種類のものがあり、それらの手法にはどのような長短があるのかといったことを理解できるようなツールが必要であると実感しました。
もちろん、上であげたようなことをきちんと理解している人もいるのですが、わかっていたとしても難しいというのが現状です。
これらの問題点をもとに、僕自身が使いたいがためにオリジナルツールを作成していくことにしました。一応冬休み中も作業はしていくつもりですが、春に行われる学外展示会の準備や卒研のブラッシュアップなどもあるので、完成は春休みくらいになるのかなと思っています。
春休み中にほぼ完成させ、一年間実際にプロジェクトなどで使用してみながら改良していくという流れにしたいと考え中。
ちょっと楽しみでもある。
2008年12月22日月曜日
ちば戦略的デザイン活用塾 第3回
12月18日は、ちば戦略的デザイン活用塾の第三回目がありました。
三回目は「ビジネスに役立つwebデザインの基礎知識」というタイトルで山崎和彦教授が担当しました。
ちなみに、二回目はこちらのブログで紹介していないのですが、僕が風邪でダウンしていたのでかけていません。
さて、三回目はタイトルのとおり、WEBサイトをビジネスにどういかしていくかという話を具体的な事例とワークショップを通して学んでいきます。
今回は、前半はwebサイトとビジネスというものがどのように関係しているのかということを事例などを用いて説明していきます。
また、WEB2.0とはという講義からアクセス解析などを用いた戦略などのお話をしました。
その後は、見る人に興味を持たせるために~シナリオの作成~ということで、
シナリオを用いたWEBサイトの作成などのお話をします。
ここからは実際に作業を通して学んでいきます。
まず、実際の調査を通さないのでペルソナとは言えませんが、実際に自分の企業にとって対象となるユーザーを明確にすると言う意味で、ペルソナシートのテンプレートにユーザーの情報を記入し、それらを基にシナリオを作成、WEBサイトのコンテンツなどを考えるということを行いました。
このように見てみると、それぞれの企業さんごとに、面白いコンテンツが出てきていたりしてなかなかバラエティに富んでいたように思えます。
最近では、個人経営のお店ですらWEBサイトを持たないといけないなんていわれていて、本当にWEBサイトがビジネスの受け口となっているんだなと実感しています。
このちば戦略的デザイン活用塾も後半へと突入です。
最後までお手伝いしていこうと思います。
2008年12月20日土曜日
ifを考える。
何事に対しても、ifで考えることと言うのはえてしてネガティヴなものとして評価されます。
「もし、あの時ああしていれば」
「もし、~だったら」
いわゆる「たら、れば」という話です。
今回はそんなタラレバな話で、コペンハーゲン解釈やら、多次元世界解釈とか一見関係ありそうで、全然関係ないお話です。あの有名なシュレディンガーさんちの猫も今回はお休みです。
人にとっての使いやすさとは何だろうとたまに考えることがあります。
そもそも、使いやすさとは、その人の生活の中での行動によって生まれてくると思います。
それはずっと生きてきた中での経験知であったり、生まれ育った環境そのものの歴史としての文化や知恵や風習であったりだと思います。
そういった文化や風習の中で練磨されてきたデザインは何世代という人々の手を経て洗練されたものとなっていくわけですが、その結果をすべて手放しで喜ぶということに対していささか疑問を感じるのです。
行ってしまえば、何世代も経てデザインされてきたと言うことは、それらのプロダクトが人々の風習や文化、社会などに対して適応し、生物でいうところの進化を遂げてきたようなものなわけですが、それらの進化の過程で停滞期であったり円熟期を迎え、人々の手によって改良や適応がなされなくなって現在に至った場合において、それらの製品は本当に現代の社会、文化、風習にとって使いやすいものでるでしょうか?
もちろん、デザイン進化の停滞期、円熟期と言うものが訪れた時点で、それらの製品は人々の生活から必要とされなくなってきているということでもあるわけですので、適者生存なんていう考え方も十分適応されるのだと思います。
ブランドと一緒で、停滞記、円熟期(衰退期)は支持されるものであれば訪れないものなのだと僕は考えます。
そういったことを考えたとき、現在僕たちの生活の中で当たり前のように使われているモノたちが本当に私たちにとって使いやすいものあっただろうかと言うと必ずしもそうでないと思うわけです。
デザインされた当時と今の間に生まれる時間という決定的なギャップこそがそれらの使い辛さの原因の内の一つなのではないでしょうか。
当時はそれでよかった。しかし、今はそうではない。
そういったことが普通にある気がします。
(当時は画期的だった法律が、時代に適応した改正を行わないせいでいまや抜け道だらけであるというのに似ているかもしれないですね)
先ほどからデザインの進化という言葉を使ってきましたが、進化という言葉を使っている以上はご想像のとおり、進化の分岐点があり、それらの分岐点を調査、分析していくことで実際には辿られなかった別の形に進化したIFのデザインを導き出せるのではないかと言うのが今回の話の終着点です。
最近、大学院生の授業の中で「自分の手法を作る」というようなことをやっているようなので、前から思っていたこんなことを言ってみたり。
地域や文化に根付いたデザイン展開の手法とか面白そうだなと思ったこのごろ。
ペルソナよりももっとマクロな視点でのデザイン活用法とか。
なんかとりとめもないですが、とりあえず思ったことをメモ程度に。
実はいくつか具体的な方法も考えていて、実際に活用してみたらどうなるかちょっと楽しみ。
「もし、あの時ああしていれば」
「もし、~だったら」
いわゆる「たら、れば」という話です。
今回はそんなタラレバな話で、コペンハーゲン解釈やら、多次元世界解釈とか一見関係ありそうで、全然関係ないお話です。あの有名なシュレディンガーさんちの猫も今回はお休みです。
人にとっての使いやすさとは何だろうとたまに考えることがあります。
そもそも、使いやすさとは、その人の生活の中での行動によって生まれてくると思います。
それはずっと生きてきた中での経験知であったり、生まれ育った環境そのものの歴史としての文化や知恵や風習であったりだと思います。
そういった文化や風習の中で練磨されてきたデザインは何世代という人々の手を経て洗練されたものとなっていくわけですが、その結果をすべて手放しで喜ぶということに対していささか疑問を感じるのです。
行ってしまえば、何世代も経てデザインされてきたと言うことは、それらのプロダクトが人々の風習や文化、社会などに対して適応し、生物でいうところの進化を遂げてきたようなものなわけですが、それらの進化の過程で停滞期であったり円熟期を迎え、人々の手によって改良や適応がなされなくなって現在に至った場合において、それらの製品は本当に現代の社会、文化、風習にとって使いやすいものでるでしょうか?
もちろん、デザイン進化の停滞期、円熟期と言うものが訪れた時点で、それらの製品は人々の生活から必要とされなくなってきているということでもあるわけですので、適者生存なんていう考え方も十分適応されるのだと思います。
ブランドと一緒で、停滞記、円熟期(衰退期)は支持されるものであれば訪れないものなのだと僕は考えます。
そういったことを考えたとき、現在僕たちの生活の中で当たり前のように使われているモノたちが本当に私たちにとって使いやすいものあっただろうかと言うと必ずしもそうでないと思うわけです。
デザインされた当時と今の間に生まれる時間という決定的なギャップこそがそれらの使い辛さの原因の内の一つなのではないでしょうか。
当時はそれでよかった。しかし、今はそうではない。
そういったことが普通にある気がします。
(当時は画期的だった法律が、時代に適応した改正を行わないせいでいまや抜け道だらけであるというのに似ているかもしれないですね)
先ほどからデザインの進化という言葉を使ってきましたが、進化という言葉を使っている以上はご想像のとおり、進化の分岐点があり、それらの分岐点を調査、分析していくことで実際には辿られなかった別の形に進化したIFのデザインを導き出せるのではないかと言うのが今回の話の終着点です。
最近、大学院生の授業の中で「自分の手法を作る」というようなことをやっているようなので、前から思っていたこんなことを言ってみたり。
地域や文化に根付いたデザイン展開の手法とか面白そうだなと思ったこのごろ。
ペルソナよりももっとマクロな視点でのデザイン活用法とか。
なんかとりとめもないですが、とりあえず思ったことをメモ程度に。
実はいくつか具体的な方法も考えていて、実際に活用してみたらどうなるかちょっと楽しみ。
2008年12月13日土曜日
箸について考えてみる。
面白い話ができる人っていますよね。
ここでいう面白いってのはギャグとかそういう意味ではなく、興味深いとかそういった意味のほうです。
昨日は研究室に泊りこんで論文を書いていたんですが、その時一緒にいた研究室のメンバーと「北欧デザインと日本のデザイン」についての話になりどんどんと話がそれ、アノニマスデザインへテーマが移行し、お箸についての話になりました。
欧州では両手を使ってフォークとナイフで食事をする。
それに対し、日本では片手でそれらの役割をする。
なんでかと考えると、日本には茶碗を片手でもって食べる文化があるからじゃないか。
では、なぜ日本には茶碗を持ち上げるような形式ができたのか。
料理の器をも手に持って食べるのは世界的にマナー違反だそうですが、なんで日本はそうなったのか?
宗教だとか、政治だとかも多少はかかわってくるのだと思うのですが、まず床文化であるというのが大きい気がしました。
椅子に座らず、床で食事をするという行為には、どうしても手で持ち上げなければこぼしてしまいます。
大陸側に比べ、国土面積が狭く日本の家屋に椅子文化が根付かなかったというのもあると思います。
調べてみると、日本において、食事をする場所というものが存在しなかったので料理を置かれた場所(配膳された場所)がつまりはダイニングになるようです。
こんな風にひとつのことを突き詰めていくと、なんか歴史をたどっているようで面白いです。
調べれば調べるほど、日本て面白い歴史や文化の宝庫ですね。
こんな話に付き合ってくれる友人に感謝です。
ここでいう面白いってのはギャグとかそういう意味ではなく、興味深いとかそういった意味のほうです。
昨日は研究室に泊りこんで論文を書いていたんですが、その時一緒にいた研究室のメンバーと「北欧デザインと日本のデザイン」についての話になりどんどんと話がそれ、アノニマスデザインへテーマが移行し、お箸についての話になりました。
欧州では両手を使ってフォークとナイフで食事をする。
それに対し、日本では片手でそれらの役割をする。
なんでかと考えると、日本には茶碗を片手でもって食べる文化があるからじゃないか。
では、なぜ日本には茶碗を持ち上げるような形式ができたのか。
料理の器をも手に持って食べるのは世界的にマナー違反だそうですが、なんで日本はそうなったのか?
宗教だとか、政治だとかも多少はかかわってくるのだと思うのですが、まず床文化であるというのが大きい気がしました。
椅子に座らず、床で食事をするという行為には、どうしても手で持ち上げなければこぼしてしまいます。
大陸側に比べ、国土面積が狭く日本の家屋に椅子文化が根付かなかったというのもあると思います。
調べてみると、日本において、食事をする場所というものが存在しなかったので料理を置かれた場所(配膳された場所)がつまりはダイニングになるようです。
こんな風にひとつのことを突き詰めていくと、なんか歴史をたどっているようで面白いです。
調べれば調べるほど、日本て面白い歴史や文化の宝庫ですね。
こんな話に付き合ってくれる友人に感謝です。
2008年12月8日月曜日
条件が同じなら必ずしも同じ結果になるとは言えない。
同じ授業を受けても、成績がみんな同じになるわけではないのと一緒で、
同じ情報を得られたとしても、それを活用できるかといえばそうとも言えない。
情報デザインフォーラムの夏のワークショップのときに、コナミの小林さんが「何の根拠もなく、教えているわけでなく、とりあえず一回やってみることが大切」という話をしていたのを思い出しました。
いま、卒業論文をまとめているわけですが、そういえば今年一年たくさんいろんなことをやってきたなと思いなおし、インターフェースの作成なんかにカードソーティングなんかを活用してみようなんて思った。
たしかに、勉強会に出かけてやってみなければもったいないし、身に付かない。
そう考えると、本当にたくさん学んだし、卒業制作に生かせることだってたくさんあるじゃないか。
なんて視野が狭くなっていたんだと本当に思いなおした。
せっかく学んでもそのあともそれを使い続ける人とそうでない人の間には違う結果がでるって話。
同じ情報を得られたとしても、それを活用できるかといえばそうとも言えない。
情報デザインフォーラムの夏のワークショップのときに、コナミの小林さんが「何の根拠もなく、教えているわけでなく、とりあえず一回やってみることが大切」という話をしていたのを思い出しました。
いま、卒業論文をまとめているわけですが、そういえば今年一年たくさんいろんなことをやってきたなと思いなおし、インターフェースの作成なんかにカードソーティングなんかを活用してみようなんて思った。
たしかに、勉強会に出かけてやってみなければもったいないし、身に付かない。
そう考えると、本当にたくさん学んだし、卒業制作に生かせることだってたくさんあるじゃないか。
なんて視野が狭くなっていたんだと本当に思いなおした。
せっかく学んでもそのあともそれを使い続ける人とそうでない人の間には違う結果がでるって話。
2008年12月6日土曜日
ユニバーサルデザインについて 3
昨今、金銭的な格差問題が取り上げられていますが、それと同じくらい今、情報の格差というものが起こっていうるといわれています。
テレビやラジオ、新聞といったマスメディア系のもの以外にも、WEBや携帯電話なんかがそこに入ってきたことで、プロフやmixiに代表されるようなブログ形式のものや、WEB2.0といわれるようなユーザー発信の情報というものが増えてきています。
そういった背景から、今までとは比べ物にならないほど世の中には情報があふれ、こちらからあえて情報を取得しに行かなければ得られない情報などもあり、情報収集に意欲的な人と。そうでない人の間に大きな格差が生まれるということらしいです。
また、情報を持たない人、知るすべを持たない人たちのことを情報弱者なんていう言葉で語るような場合もあります。
こういったPCなどにより情報を収集活用できる人と、PCを持たない、またうまく操作できない、インフラが整っていないなどさまざまな条件により情報の活用ができない人との間では、情報を持つ、持たないということで社会的な格差が生まれてしまうことをデジタルデバイドなんていったりするそうですが、情報の格差がそのまま社会的な格差(金銭やサービスの享受)へもつながるなんて話を聞いてしまうと、情報化社会なんてメディアの中でしか聞いたことのないような単語が事実、今の社会をきちんと表しているなと実感します。
また、情報を収集するだけで、そこから実際にその情報を使う人がどれほどいるかというとグンとパーセンテージは低くなりそうですね。
昨今、情報のユニバーサル化という話を耳にするのですが、このような背景があれば納得できるというものです。身体的な問題で、WEBを利用するのが困難なかたや、PCや新しいサービスにうまく適応できない人など様々な人がいるわけですから、その人にまず情報を入手できる環境を作ること。
そして、情報のUDとはその情報を活用するところまで範囲は及ぶ気がします。
①情報を入手する デジタルな問題
②情報を活用する。 フィジカルな問題
この情報を活用するというところまでできなければ、ユーザーにとって歯がゆいままですよね。
また、情報の活用とは結局のところその多くがフィジカルな問題でもあったりします。
なんだフィジカルな問題であるなら、今までのパブリック的なUDでいいじゃないかと思われるかも知れませんが、この①と②の間をつなぐ1.5があるかないかがカギになってくると思います。
先ほど、情報を入手してから活用するまでに一気にパーセンテージは減るだろうという話をしたのですが、それは①と②をつなぐ間にはいくつもの障害があるからであると僕は思います。
たとえばそれは純粋に面倒くさいということかもしれないですし、
精神的なものかもしれません。
金銭的かもしれませんし、時間的な余裕や、手段の不足なのかもしれません。
情報に限らずUDという言葉はなぜかその場限りやその場しのぎの解決に向きがちであると思います。
たとえば、僕のいた高校ではエレベータがないのになぜか二階に車いす用のトイレがありました。
それはもしかしたら県立の高校だったので、条例的な問題で形だけ取り入れただけなのかもしれません。
①の部分だけのUDとはたとえばそれは
ECサイトで商品は見つけやすいけど、めちゃくちゃめんどくさい手順を踏まなきゃ購入できない。そんな状態なのかもしれません。
商品を見つけたあとの購入までやって初めて情報のUD化となるのかなと思いました。
テレビやラジオ、新聞といったマスメディア系のもの以外にも、WEBや携帯電話なんかがそこに入ってきたことで、プロフやmixiに代表されるようなブログ形式のものや、WEB2.0といわれるようなユーザー発信の情報というものが増えてきています。
そういった背景から、今までとは比べ物にならないほど世の中には情報があふれ、こちらからあえて情報を取得しに行かなければ得られない情報などもあり、情報収集に意欲的な人と。そうでない人の間に大きな格差が生まれるということらしいです。
また、情報を持たない人、知るすべを持たない人たちのことを情報弱者なんていう言葉で語るような場合もあります。
こういったPCなどにより情報を収集活用できる人と、PCを持たない、またうまく操作できない、インフラが整っていないなどさまざまな条件により情報の活用ができない人との間では、情報を持つ、持たないということで社会的な格差が生まれてしまうことをデジタルデバイドなんていったりするそうですが、情報の格差がそのまま社会的な格差(金銭やサービスの享受)へもつながるなんて話を聞いてしまうと、情報化社会なんてメディアの中でしか聞いたことのないような単語が事実、今の社会をきちんと表しているなと実感します。
また、情報を収集するだけで、そこから実際にその情報を使う人がどれほどいるかというとグンとパーセンテージは低くなりそうですね。
昨今、情報のユニバーサル化という話を耳にするのですが、このような背景があれば納得できるというものです。身体的な問題で、WEBを利用するのが困難なかたや、PCや新しいサービスにうまく適応できない人など様々な人がいるわけですから、その人にまず情報を入手できる環境を作ること。
そして、情報のUDとはその情報を活用するところまで範囲は及ぶ気がします。
①情報を入手する デジタルな問題
②情報を活用する。 フィジカルな問題
この情報を活用するというところまでできなければ、ユーザーにとって歯がゆいままですよね。
また、情報の活用とは結局のところその多くがフィジカルな問題でもあったりします。
なんだフィジカルな問題であるなら、今までのパブリック的なUDでいいじゃないかと思われるかも知れませんが、この①と②の間をつなぐ1.5があるかないかがカギになってくると思います。
先ほど、情報を入手してから活用するまでに一気にパーセンテージは減るだろうという話をしたのですが、それは①と②をつなぐ間にはいくつもの障害があるからであると僕は思います。
たとえばそれは純粋に面倒くさいということかもしれないですし、
精神的なものかもしれません。
金銭的かもしれませんし、時間的な余裕や、手段の不足なのかもしれません。
情報に限らずUDという言葉はなぜかその場限りやその場しのぎの解決に向きがちであると思います。
たとえば、僕のいた高校ではエレベータがないのになぜか二階に車いす用のトイレがありました。
それはもしかしたら県立の高校だったので、条例的な問題で形だけ取り入れただけなのかもしれません。
①の部分だけのUDとはたとえばそれは
ECサイトで商品は見つけやすいけど、めちゃくちゃめんどくさい手順を踏まなきゃ購入できない。そんな状態なのかもしれません。
商品を見つけたあとの購入までやって初めて情報のUD化となるのかなと思いました。
2008年12月2日火曜日
市場調査。
卒業研究でオーディオ系のもの扱うということになってから何回か市場調査を行っているのだけど、なんかに詰まったときだったりに気分転換に外にフィールドワークに出かけたりするついでに家電の売り場を見たりする。
そういった場合、大手の電気店や売り場であるほど店員の方が話かけてくるのでこれ幸いとそんなときは軽くインタビューしたりしています。
店員「なにかお探しでしょうか?」
ミ「父が今度定年を迎えるのでオーディオを贈りたいのですが、よくわからないので下見に来たんですが」
店員「それでしたら……」
といった感じで20分前後立ったままのインタビューをします。
まぁ、いっても相手は売ること前提なのですが、最近のうれいきとか、具体的なお客さんの反応なんかを話してくれるので、自分でパンフレットをみたりするよりも生々しい話が聞けて良いです。
あと、売り場担当の方なので、JAZZにはこのオーディオ、クラシックはこっちなど小ネタも聞けて面白い。しかも向こうから話しかけてくれるので大変やりやすい。
なんか店員さんを騙しているようで後ろめたい部分もあるんですが、あながちウソだけではなかったりします。
実は今回の対象ユーザーの元は自分の父なんですよね。
実際父はあと数年で定年を迎えるので、今回のインタビューもしっかり生きるという話。
退職後の生活というテーマも、自分の父が依然帰省中に「退職したらどうするか」というようなことを言っていたのを思い出したからにほかなりません。
まぁ、こんなこと本人には言えませんがね 笑
身近な人を思い浮かべたほうが一年間卒研とうまく付き合えるんじゃないかという自分の想いもあったわけですけれど。
話を戻します。
そんなこんなで何回目になるか分からない売り場での聞き込みで今回わかったことは。
今回はミニコンポについて聞いたんですが、
最近、多くのユーザーはコンポを買う際にほとんど自分の持っている携帯音楽プレイヤーに合わせて買うんだそうです。考えてみればそうなのですが、自分はほとんど音楽はPCに繋いで聞いているので意識していませんでした。
家に帰ったらプレイヤーをコンポに繋いで曲を聞くのだからまぁ、納得できる話です。
それで、今回のターゲットである50~60代向けのコンポってのを案内してもらったのですが、
ついているものが、CDとMDとラジオ。
自分が中学の時に使っていたコンポと性能的には一緒でした。
若い人むけのコンポのインターフェースはずいぶんとすっきりしているのに対し、おじさん向けコンポは昔ながらのつまみやダイヤルやら、画面もいまだに単色のドットで数字とカタカナが出る程度。
最近の50代の方たちは仕事でもPCを使うので、PCとの連動にあまり抵抗がないというのは春にやったインタビューでも得られた回答だったのだけど、あまりのギャップにちょっと面くらいました。
確かに、PCに苦手意識を持つ人だっているんでしょうけれど「おじさんはPCに弱いから以前のままでいいよね」って雰囲気がすごく否めない。
もちろん、そのアナログ感というのが売りだというのならそれ相応のしつらえがありそう。
変わらないことを望むユーザーがいれば、新しいものに順応できる人もいる。
そういった人たちは若い人向けのコンポを買えばいいという感じなのでしょうか。
企業である以上、お金が絡むのはしょうがないですけど、それもまた違う気がします。
そもそもコンポという存在がいまの時代(音楽を聴くスタイル)にあまり適応できてない部分も多いと思いますし。
PCに抵抗がないということと、GUIに抵抗がないは決して=ではないということは気づけたのでよしとします。
いろいろ課題も見えてきました。時間は本当にないのですが、できるだけやってみよう。
そういった場合、大手の電気店や売り場であるほど店員の方が話かけてくるのでこれ幸いとそんなときは軽くインタビューしたりしています。
店員「なにかお探しでしょうか?」
ミ「父が今度定年を迎えるのでオーディオを贈りたいのですが、よくわからないので下見に来たんですが」
店員「それでしたら……」
といった感じで20分前後立ったままのインタビューをします。
まぁ、いっても相手は売ること前提なのですが、最近のうれいきとか、具体的なお客さんの反応なんかを話してくれるので、自分でパンフレットをみたりするよりも生々しい話が聞けて良いです。
あと、売り場担当の方なので、JAZZにはこのオーディオ、クラシックはこっちなど小ネタも聞けて面白い。しかも向こうから話しかけてくれるので大変やりやすい。
なんか店員さんを騙しているようで後ろめたい部分もあるんですが、あながちウソだけではなかったりします。
実は今回の対象ユーザーの元は自分の父なんですよね。
実際父はあと数年で定年を迎えるので、今回のインタビューもしっかり生きるという話。
退職後の生活というテーマも、自分の父が依然帰省中に「退職したらどうするか」というようなことを言っていたのを思い出したからにほかなりません。
まぁ、こんなこと本人には言えませんがね 笑
身近な人を思い浮かべたほうが一年間卒研とうまく付き合えるんじゃないかという自分の想いもあったわけですけれど。
話を戻します。
そんなこんなで何回目になるか分からない売り場での聞き込みで今回わかったことは。
今回はミニコンポについて聞いたんですが、
最近、多くのユーザーはコンポを買う際にほとんど自分の持っている携帯音楽プレイヤーに合わせて買うんだそうです。考えてみればそうなのですが、自分はほとんど音楽はPCに繋いで聞いているので意識していませんでした。
家に帰ったらプレイヤーをコンポに繋いで曲を聞くのだからまぁ、納得できる話です。
それで、今回のターゲットである50~60代向けのコンポってのを案内してもらったのですが、
ついているものが、CDとMDとラジオ。
自分が中学の時に使っていたコンポと性能的には一緒でした。
若い人むけのコンポのインターフェースはずいぶんとすっきりしているのに対し、おじさん向けコンポは昔ながらのつまみやダイヤルやら、画面もいまだに単色のドットで数字とカタカナが出る程度。
最近の50代の方たちは仕事でもPCを使うので、PCとの連動にあまり抵抗がないというのは春にやったインタビューでも得られた回答だったのだけど、あまりのギャップにちょっと面くらいました。
確かに、PCに苦手意識を持つ人だっているんでしょうけれど「おじさんはPCに弱いから以前のままでいいよね」って雰囲気がすごく否めない。
もちろん、そのアナログ感というのが売りだというのならそれ相応のしつらえがありそう。
変わらないことを望むユーザーがいれば、新しいものに順応できる人もいる。
そういった人たちは若い人向けのコンポを買えばいいという感じなのでしょうか。
企業である以上、お金が絡むのはしょうがないですけど、それもまた違う気がします。
そもそもコンポという存在がいまの時代(音楽を聴くスタイル)にあまり適応できてない部分も多いと思いますし。
PCに抵抗がないということと、GUIに抵抗がないは決して=ではないということは気づけたのでよしとします。
いろいろ課題も見えてきました。時間は本当にないのですが、できるだけやってみよう。
2008年12月1日月曜日
第二回 smile experience
11月30日はオープンラボでした。
僕の所属している山崎研究室では春と秋にsmile experienceと題しましてオープンラボを開催しています。
オープンラボとは、名前のとおり研究室を開放し、研究室で行っているプロジェクトや卒業研究などを外部の方々に見ていただき、意見をいただくというものです。
smile experienceという名前は、山崎研究室のテーマでもあるユーザーにとっての心地よい体験のためのデザインというところからきています。そのはずです。
このポスターは院生の此川さんが作ってくれました。
テーマは「金の卵の集まる研究室」だそうです。春の段階では全部卵だったのですが、今まさに孵化しようとしているものや、もうひよこになっているもの、まったくかわりなく卵のままのものまであり、この半年で目覚ましく成長する人もいれば、のんびりしている人もいるというのがあらわているようにも見えますね 笑
今回はお隣の佐藤研究室、情報系では原田研究室との3研究室合同オープンラボとなりました。
とっても豪華ですね。
パネルディスカッションの様子。 トヨタUDプロジェクトでやったベビーカーも説明しました。
自分の卒研パネルとイメージモック
自分も先生方や外部の方に卒業研究の意見を貰いました。
「退職後に新たに趣味を見つけるためのデザイン提案」です。
おじさんたちが、どうすれば新たな趣味を見つけていけるのか。今回はインタビューの回答で多かった音楽というものをテーマに選択しました。
現在の提案としては、
「MIDIデータを利用した、いじれるジュークボックス」
という方向性できています。
楽曲の音色やピッチなどを専門的な知識もなく、何気なくできる。でも奥が深い。
そんなところを目指しています。
もっとディティールやいろいろ詰めなきゃという感じですね。
情報系の先生方は本当にピンポイントで意見をくれるので参考になります。
自分でも悩んでたりするところを指摘されてドキッとする場面も……。
自分の卒研パネルとイメージモック
自分も先生方や外部の方に卒業研究の意見を貰いました。
「退職後に新たに趣味を見つけるためのデザイン提案」です。
おじさんたちが、どうすれば新たな趣味を見つけていけるのか。今回はインタビューの回答で多かった音楽というものをテーマに選択しました。
現在の提案としては、
「MIDIデータを利用した、いじれるジュークボックス」
という方向性できています。
楽曲の音色やピッチなどを専門的な知識もなく、何気なくできる。でも奥が深い。
そんなところを目指しています。
もっとディティールやいろいろ詰めなきゃという感じですね。
情報系の先生方は本当にピンポイントで意見をくれるので参考になります。
自分でも悩んでたりするところを指摘されてドキッとする場面も……。
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