今日、ある人のプレゼンを聞いていて思ったのは、
二次元であればある程度対等な位置関係も、三次元になるとずいぶんと距離感がでて上下関係のようなものがでてくるということです。
まぁ、距離感を出すために遠近法などが生まれたわけですが、身をもって実感するとまた違った感覚でそういったものごとをとらえている気がします。
最近、この実感するという感覚が頻繁に起こっている気がします。
いろんな講習会やワークショップなどで刺激をもらっているからなのかもしれないですが
知識として記憶していても、そこに実感が伴わなければ理解に至らないのだろうなと思うようになりました。
例えば、PDCAサイクルというものを僕は知っていましたが、先日のワークショップで寺沢先生の「何をみて、どう解釈し、何をつくりどう評価するか」という言葉を聞くまできちんと理解できていなかった気がします。
これらの実感は、大体自分にとって当たり前と思いこんでいるものの中に潜んでいて、自分が経験して得た知識に比べ、その情報に対しての非常に表面的な部分をさらっているだけな気がします。
それって言ってしまえば
「あの箱の中に猫がいるよ」と言われ、その伝え聞いた情報だけを鵜呑みにして箱の中身を確認していない状態なのではないでしょうか。
これらの実感に伴う再認識は”暗黙知”であったり、理解した気になっていた自分への発見なのかもしれないですね。
先ほども言ったように、これらの再認識は、自分の中で当たり前であったり、理解したつもりになっているものの中にあると思うので、最近は当たり前のことでもきちんと口に出すようにしています。
あたりまえだから見落としているということも多いですし、なにより言葉にして初めて理解できることも多い気がするからです。
しかし、この再認識がもし、ひとがより深く情報を知ろうとするための前提条件だとするのなら、事前に知識を得ておくことが大切なのかもしれません。
だとしたら、僕らは日常の中でもっと無意識に、
知識の獲得 → 経験→ 実感、再認識
というプロセスを行っているのかも知れません。
挑戦と失敗は人が何かを習得する時に必要な行為ですけれど、それってフィジカルな部分だけでなく知識や認識に理解に至るプロセスと変わらないのかもしれないですね。
情報に関して言えば、明確な失敗というものがあまりないから気付かないだけだったりして。
2008年9月7日日曜日
取り残されたリモコン。
少し間があいてしまいましたが、ここ数日実家へ帰っていました。
実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。
アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。
大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、
タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。
テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。
ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。
よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。
このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。
リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。
実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。
アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。
大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、
タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。
テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。
ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。
よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。
このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。
リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。
2008年9月1日月曜日
時間の活用。
本日は朝から晩まで、12時間以上も学校で作業をしていました。
自分が今かかわっているプロジェクトは何個かあるのですが、本日の作業はその中の一つの、トヨタユニバーサルデザインワークショップのミーティングが二日にあるため、夏休み中に分析したもののまとめをしてきました。
このプロジェクトは、自分の研究室と、隣の感性デザインの研究室、それと三年生の有志が参加しており三人で1チームになっています。
フィールドワークやオブザベーションから始まり、PPPチェックシートをもとにした既存の製品に対するヒューリスティック的な簡易評価や、筑波大の先生のところへ訪問してのインタビューなど、GDEやその他のプロジェクトでなかなかほかのメンバーとも日程が合わないのに、実は結構このプロジェクトに関しては着実に物事を進めていたんだなぁというのが振り返ってみての感想でした。
時間の活用というタイトルのエントリーなのですが、この間のワークショップでも言われたことで、限られた短い時間のなかでも効率のいい作業の仕方と、同じ時間をかけてクオリティの高いものを作るやり方ってのがあって、ちゃんとそこを抑えるべきだといおしかりをいただいていたのに、なぜかこのチームではミーティングをすると必ず12時間くらいの作業をすることになります。
現場監督的に作業を見守る役をキチンとつくるべきなのかもしれないですね。
時間を有効的に使うということと、クオリティを上げるということは密接に関係しているのですから、
普段から、時間を有効的に使うことを意識することが、自分を成長させるための近道にも思えます。
タイムキーパーではないけれど常に時計を意識するというのは大切なことですね。
自分が今かかわっているプロジェクトは何個かあるのですが、本日の作業はその中の一つの、トヨタユニバーサルデザインワークショップのミーティングが二日にあるため、夏休み中に分析したもののまとめをしてきました。
このプロジェクトは、自分の研究室と、隣の感性デザインの研究室、それと三年生の有志が参加しており三人で1チームになっています。
フィールドワークやオブザベーションから始まり、PPPチェックシートをもとにした既存の製品に対するヒューリスティック的な簡易評価や、筑波大の先生のところへ訪問してのインタビューなど、GDEやその他のプロジェクトでなかなかほかのメンバーとも日程が合わないのに、実は結構このプロジェクトに関しては着実に物事を進めていたんだなぁというのが振り返ってみての感想でした。
時間の活用というタイトルのエントリーなのですが、この間のワークショップでも言われたことで、限られた短い時間のなかでも効率のいい作業の仕方と、同じ時間をかけてクオリティの高いものを作るやり方ってのがあって、ちゃんとそこを抑えるべきだといおしかりをいただいていたのに、なぜかこのチームではミーティングをすると必ず12時間くらいの作業をすることになります。
現場監督的に作業を見守る役をキチンとつくるべきなのかもしれないですね。
時間を有効的に使うということと、クオリティを上げるということは密接に関係しているのですから、
普段から、時間を有効的に使うことを意識することが、自分を成長させるための近道にも思えます。
タイムキーパーではないけれど常に時計を意識するというのは大切なことですね。
2008年8月30日土曜日
何を知りたいのか。

この間の横浜のフィールドワークで痛感させられたことですが、物事には”こうなんじゃないかな”というような仮説が必要となります。
フィールドワークの中で漠然とした観察の中から得る気づきも大切ですが、限られた時間の中で効率よく、より深く情報を得るためには、やはり仮説を立ててから行動するほうがいいに決まっています。
しかし、その仮説も一歩間違えばデザインの幅を狭め、インタビュー項目自体が悪い意味で仮説に引っ張られてしまいかねないのではと感じています。
例えば、仮設を立てる段階で、実際にインタビューなどの調査をしていないのにも関わらず、こうなんじゃないかという推測である程度の結果や、最終的な案が見える場合があります。(スーパービューなんて言われたりしますが)
最後までの道筋がある程度見えてしまった時点で、あとの行程はただの作業へと変わってしまうのではないでしょうか。
その時点で思考停止してしまっては困ります。
実際作っていく最中で壁にぶつかることなんてのは往々にしてあるわけで、これに関しては最後まで仮説を変化させつつ比較していくしかないのかもしれません。
寺沢先生もおっしゃっていましたが、フィールドワークや調査をしていて、何のためにしているのかということを忘れてしまうことも多いそうです。
何を知りたくての行動なのか、よく意識して考える必要がありそうです。
2008年8月29日金曜日
横浜ワークショップ2008
情報デザインフォーラム主催の横浜ワークショップ2008に参加してきました。
二日間で、フィールどワークをし、インフォグラフィックを用いた横浜の地図を作るという課題でした。
デザインに限らず行動に移す前にあるべき仮説というものがやはり大切で、事前の打ち合わせもしていたのですが結局、フィールドワークの結果から得られたものはまったく違うものでした。
その後、得られた情報をまとめるのですが、なかなかまとまらず、シャッフルディスカッションという手法をすることになりました。
これは、自分のチームとは別のチームの人に、自分たちの意見をまとめ、説明し、それに対して意見をもらうというもの。
今回は、チームから一人ずつ別のグループに行ってもらい、五分プレゼン、五分質疑応答というかたちで行いました。
説明しているうちに、自分たちでも、今何が足りないのかということがわかってくるのですが、今回自分が失敗したのは、シャッフルディスカッションの時にでたアイデアを優先し、そこに至る過程を無視してしまったことです。
もちろん、意図的ではなかったのですがここで気づいたのは、シャッフルディスカッションは最初のこちら側からの説明を前提にしているということでした。
代わりにでたアイデアがそのまま入れ替えられるものならいいのですが、つけたしていくタイプの場合そのまま代替案として起用するとわけのわからないことになります。
導き出された新しいアイデアが斬新であったり、画期的であればあるほどそういった判断をしなくなるというのかなという感想をもちました。
二日間で、フィールどワークをし、インフォグラフィックを用いた横浜の地図を作るという課題でした。
デザインに限らず行動に移す前にあるべき仮説というものがやはり大切で、事前の打ち合わせもしていたのですが結局、フィールドワークの結果から得られたものはまったく違うものでした。
その後、得られた情報をまとめるのですが、なかなかまとまらず、シャッフルディスカッションという手法をすることになりました。
これは、自分のチームとは別のチームの人に、自分たちの意見をまとめ、説明し、それに対して意見をもらうというもの。
今回は、チームから一人ずつ別のグループに行ってもらい、五分プレゼン、五分質疑応答というかたちで行いました。
説明しているうちに、自分たちでも、今何が足りないのかということがわかってくるのですが、今回自分が失敗したのは、シャッフルディスカッションの時にでたアイデアを優先し、そこに至る過程を無視してしまったことです。
もちろん、意図的ではなかったのですがここで気づいたのは、シャッフルディスカッションは最初のこちら側からの説明を前提にしているということでした。
代わりにでたアイデアがそのまま入れ替えられるものならいいのですが、つけたしていくタイプの場合そのまま代替案として起用するとわけのわからないことになります。
導き出された新しいアイデアが斬新であったり、画期的であればあるほどそういった判断をしなくなるというのかなという感想をもちました。
show must go on.
show must go on.
このブログの名前なわけですが、
もともとは、三谷幸喜の「ショー・マスト・ゴー・オン」という劇の名前に由来します。
僕自身、高校時代は演劇部でしたので、この言葉は口癖のように使っていました。
「見せ続けなければいけない」「幕をおろすな」そんなニュアンスで解釈してもらえればいいかと思います。
演劇の内容は、舞台は、まさに劇場の舞台袖。舞台監督とアシスタントが、現場で次々と起きるアクシデントに翻弄されながらも、多くの人の協力と、ヒラメキでピンチを乗り越え、無事に最後まで劇を終わらせるというものです。
観客の前で、リアルタイムで行う演劇には、アクシデント(セリフ忘れから、会場のブレーカーが落ちるなど)ありますが、そんなアクシデントにも負けず、最後まで演じきれという舞台に上がる人間(俳優、スタッフ含め)の魂を感じるような言葉です。
少なからずデザインという世界で学び始めて四年目を迎えるのですが、デザインや舞台に限らず「一度決めたら最後まで遣り通す力(意志)」というものがかなり大切な気がします。
初志貫徹。
最後までアウトプットし通す実行力と意思の強さ。
そういったものを意識して勉強していきたいと思います。
それとともに、名前に恥じないよう、このブログが三日坊主にならないようにしていきます。
このブログの名前なわけですが、
もともとは、三谷幸喜の「ショー・マスト・ゴー・オン」という劇の名前に由来します。
僕自身、高校時代は演劇部でしたので、この言葉は口癖のように使っていました。
「見せ続けなければいけない」「幕をおろすな」そんなニュアンスで解釈してもらえればいいかと思います。
演劇の内容は、舞台は、まさに劇場の舞台袖。舞台監督とアシスタントが、現場で次々と起きるアクシデントに翻弄されながらも、多くの人の協力と、ヒラメキでピンチを乗り越え、無事に最後まで劇を終わらせるというものです。
観客の前で、リアルタイムで行う演劇には、アクシデント(セリフ忘れから、会場のブレーカーが落ちるなど)ありますが、そんなアクシデントにも負けず、最後まで演じきれという舞台に上がる人間(俳優、スタッフ含め)の魂を感じるような言葉です。
少なからずデザインという世界で学び始めて四年目を迎えるのですが、デザインや舞台に限らず「一度決めたら最後まで遣り通す力(意志)」というものがかなり大切な気がします。
初志貫徹。
最後までアウトプットし通す実行力と意思の強さ。
そういったものを意識して勉強していきたいと思います。
それとともに、名前に恥じないよう、このブログが三日坊主にならないようにしていきます。
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