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2011年7月14日木曜日

情報へのアクセスとデバイスの多様化。

現在まさにユビキタスといった感じに世の中簡単に情報に触れるようになりました。
特に最近めざましいのがスマートフォンとUQWI-MAX。

スマートフォン自体は、パケットで通信が可能だし、タブレット型PCやノートPCなどは、各地にあるWI-FIスポットや、WI-MAXのようなサービスのおかげで場所を選ばなくてもインターネットへ繋がる事が出来る。

過去にあったようにモバイル限定のpCサイトというものもあるにはあるが、スマートフォンがフォンとはいうものの、極端に小さいPCのような扱いになっているので、あの小さなデバイスでPC用のWEBサイトを見ることになる。

同じWEBサイトに、大まかに分けて三つのデバイスからのアクセスが予想できる。

それは

・マウスを用いて、大きな画面で操作するPC
・小さな画面へ指でタッチするスマートフォン
・ある程度の大きさの画面で指で操作するタブレット型PC


同じ情報サイトでもこれだけ変わった環境からの情報へのアクセスが可能になってくる。

もちろん、これらのデバイスがアクセスするサイトはPCでマウスのカーソルを操作して閲覧することを前提に作られているので、ユーザビリティは置いておいて、操作感という意味ではPCが一番いいに決まっている。

現状、一番不便なのは当然の如く、スマートフォン。

あの小さな画面に、縮小して表示されたサイトのごく一部分のみを、自分の指で選択しなければならない。
とうぜん、カーソルのような細かい操作は難しい。

リストのような形でならぶリンクのウチ、任意のモノを、細かく縮小された状態から選択するのは困難だ。

タブレットPCも同様だが、まだ画面が大きいのでスマートフォンほどではない。

もちろんタッチ画面では拡大が出来るが、リンクするたびに拡大し、ページ移動するというのも一手間かかる。

こういった操作はストレスの原因になるだろう。

ここは割り切って、タッチパネルのデバイスはあくまでも外出先からアクセス可能なだけで、メインをタブレットPCや普通のPCにすること可能なのだが、情報へのアクセスがスマートフォンをメインに進んで行くであろう昨今、そこを放置し続けるのも難しい。

デバイスやブラウザに工夫を施すことも可能だが、理想はWEBサイトのGUIをそれぞれのデバイスからアクセスしやすいように変更していくことだろう。

WEBサイトのデザインには基本と成るテンプレートというものがあるが、そろそろあたらしい、こういった複数のデバイスからのアクセスを考慮したものが必要になってくるのかもしれない。

またブラウザやプログラムの方を弄くって、カーソルを指で操作するようにしたら意外と使いやすいのかも…。

まだまだこの分野、ユーザビリティとかGUIとか、新しく手を加えていける可能性が一杯で面白い。

是非、積極手に勉強していこう。

2009年5月15日金曜日

条件反射と記憶とスマイルデザイン。

条件反射ということについて考えてみました。

そうです、あのパブロフの犬で有名なあの条件反射です。

有名な話ではありますが、パブロフの犬とは何ぞや?という人のために簡単に説明しますと、


  1. 犬に餌を与える前にベルなどで音を聞かせる。
  2. 犬は餌を食べる時に唾液を出す。
  3. 1と2を繰り返す。
  4. 今度は餌を与えずにベルを鳴らす。
  5. ベルの音を聞いただけで唾液を出す。

というものだったらしいです。


さて、この条件反射がどのようにデザインに関わってくるかというと、たとえば、UD的な話をするのであればヒューマン・エラーを防止するために人間の日常的な反射(条件反射も含め)を取り入れるなんていうことがあげられるかも知れません。

以前、このブログでも取り上げたように昨年はトヨタUD学生ワークショップに参加したのですが、その時に「(シニアカー)ブレーキは、人間が危機的状況に陥った時に身体が強張る(手を握り締める)ため、引っ張ることでブレーキがかかるようになっている」という事例を聞いたことがあります。

この場合は普通の反射ですが。


条件反射とはその名前に通りに、反射を起こすための条件付けが必要になってきます。

犬などに芸を教えるときは、大概この方法をとっているように思います。

自分も実家に犬を飼っているのですが、お手なんかを覚えさせるときは、

  1. 前足を差出た掌に無理やり乗せる
  2. 褒めて餌をあげる
  3. 1,2を繰り返す
  4. 犬の前に手を差し出す
  5. 犬は、手を乗せると褒められる、もしくは餌が貰えると思い手を乗せる

となっていたように思います。


こう考えると、普通に学習というものもこのようなルーチンを通しているのかも知れません。

小さい子供が、何をしたら褒められて、何をしたら怒られるのか。
そういったことを、自分の中で過去の事例から取捨選択をしてその中で自分のベストと思われる行動を選択するわけです。


つまり


  1. 選択を迫られる
  2. 状況を確認する
  3. 過去の自分の体験を照らし合わす
  4. 行動を起こす

こうして、1から4を繰り返し行うことで、行動の善し悪しを問うバックアップのデータが蓄積され、よりその行動は正確になっていく。

それがつまり精神的に成熟していくということなのではないでしょうか?



勿論人の記憶や感情にもそういった条件付けが可能であるとされています。



以前書いた、追憶型エクスペリエンスでも少し書いたのですが、人の思い出や記憶を関連付けた体験というのはこういった条件反射であったり、いわゆるエピソード記憶が関わってくるのだと思います。



早い話が、人の行動や体験に条件付けをし、その条件を満たしたときにエピソード記憶を引っ張り出すような何か(モノやサービスや体験)をデザインする。


このようにかくと随分と強引なもののように聞こえますが、たとえばその引き出されるエピソード(体験)からデザインしてあげればいいのではないでしょうか。


そのエピソードがより、ユーザーにとって心地よい、楽しいといったものであるようにデザインするのが大切なのかなと、ふと思いました。

2009年2月24日火曜日

追憶型エクスペリエンス

タイトル的にはなんかものものしいのですけれど、ものすごく端的に言ってしまうと

なぜ、海の家の焼きそばやラーメンは美味しいのか?

という一文がしっくりと来ると思うのです。


スキー場で食べるカレーライスであったり、お祭りの屋台で食べるたこ焼きなんかもそうなのですが。

それらの味って言ってしまえばそれほどまでに美味しいというわけじゃないと思うんですよ。
もちろん、お店の方はコストも考えた上でなるべく美味しいように努力はしてくれるのですが。

それでも、ラーメンなら本格的な行列ができるようなお店のラーメンのほうが美味しい。

なら、なんでそういったものを美味しいと感じるのか。
旅行やバカンスなんていった楽しい思い出なんかが付随していくのかもしれません。
そこにはきっと何らかのエクスペリエンスがあるのだと思うのです。


たとえばそれは失恋のときに聞いた曲を聴いて悲しくなるように、ネガティブな方向に働くこともあれば、

クリスマスソングを聞いただけでプレゼントがもらえたときのようにうきうきとポジティヴな方向に行くこともあると思うのです。

僕たちはきっと日常生活の中で様々な体験をしているわけですが、現在進行形で進む一連の体験の中に何か別の流れの体験がある気がしてなりません。

その一つがタイトルであげたような追憶型エクスペリエンスなのかなと思った次第です。

ただひとつ気になるのは、海の家のラーメンは、最初に食べたときに美味しいと感じていたのだろうかということです。

とりとめもないですがこのへんで。

2009年2月13日金曜日

ゴールの周りには?

どうもお久しぶりです。

一か月ほど更新が止まっていました。

というのも、正月から

風邪→インフルエンザ→ノロウィルス→以前続く体調不良という悪循環に陥って大学にもあまりいけない状態であり、かつ身の回りで不幸やトラブルの連続。

本気でお祓いを考えている今日この頃です。



さて、以前書こうとしていた話を書こうと思います。

少し前に、プレイアラウンドというはなしをききました。

これはココカラハジマルの藤崎圭一郎さんが以前エントリーで書いていたことです。

藤崎さん自身はSOCCAの松下計さんの講演で聴いたお話だそうです。

プレイアラウンドとは読んで字の通り。周りで遊ぶこと。


一直線にゴールを目指すのではなくゴールの周辺でいったん遊んでみることを言うのだそうです。

それはいわばデザインの幅を広げることであり、現状を客観的にみるきっかけなのかも知れません。


それはいわばスピンオフのきっかけかも知れませんし、可能性の発見かもしてません。

デザインでいうなれば最終的なデザインを見据えながらあえてその派生を探るといった形になるのかもしれないですね。


デザインをしていくとただひたすらに視野が狭くなるときがありますが、その視野を楽しみながら広げるいい方法かもしれません。具体的な方法なども考えていくと面白いかもしれないですね。





2008年12月24日水曜日

オリジナルツールを目指して。

最近、考えているのはオリジナルのツールを作ることです。

年末にかけて多くの方が我が研究室に来てくださいました。

その中には企業さんも沢山いらしたのですが、その方々が人間中心設計と関わる際に自社で製作したオリジナルのツールなども見せていただきました。

それらをみて思ったのが、一口に人間中心設計といっても、使う人それぞれにとってスタンスも目的も利用の仕方も異なっていて、それぞれのやり方に対して追及していった結果、オリジナルのサポートツールが作られているということです。

もちろん、それはカレーと一口にいっても、それぞれの家にそれぞれのカレーの味があるのといっしょです。おんなじカレールーを使っていても、味はぜんぜん違うものになってしまいます。
でも、その家で育った人にとって一番舌になじむ味というのはその家のものです。

それと同様に使いやすさというものを求めていくと、最終的にはオーダーメイドに勝るものっていったいどれだけあるのでしょうか。

それぞれの企業で、大学でUCDへの取り組み方というのは異なってきているのだから、それらをサポートするオリジナルツールというものが出てくるべきだと思いました。

それらの話を前提に、研究室の先輩方とお昼ご飯を食べているときに、話を振ってみたらうちの研究室にもいくつかやはり必要なツールというものがあるんじゃないかという話になりました。

UCDを学ぶ上で、研究室という単位で活用していくうえで、今のうちの研究室で問題となっていることをいくつか洗い出してみました。

すると大きく分けて、二つの問題点が上がりました。
それは以下のようなものです。

1. ペルソナを作っても活用しきれていない
2.UCDを一連の流れとして知っていても、応用ができない。

1のペルソナを作っても活用しきれていないというのは、ペルソナをコンセプトの抽出にしか使っていないということです。よくよく考えてみればペルソナを作成したところで、どのように活用しているかと考えてみたときに、コンセプトや五つの提供価値を導き出すためだけに使われている感がすごく強いことがわかりました。それってすごくもったいないことだし、提供価値などを導き出して以降はそれらのキーワードのみをみて作業してしまうのだったらそのキーワードに書かれた前後の文脈はどこにいったの?という話になっていってしまいます。
 また、そのようにしていった場合、ペルソナの存在を忘れて上司や担当の教員によってデザインの修正がおこなわれていった場合は、その上司や担当の教員の好みにあったデザインへと変わっていってしまうのではないかという恐れもあります。その上司や教員がペルソナと同一である場合を除いてそれはUCDであると言えるのでしょうか。

次に、2のUCDを一連の流れとしてしっていても応用ができないというものについてですが、こちらに関しても、ものすごく簡潔に行ってしまえば、プロセスや手順は理解しているけれど、何のためにそれをするのかよく理解していない。という状況であると思います。

言われたからやりましたという典型的な例であるといってもいいでしょう。

僕たちの研究室はUXD(ユーザーエクスペリエンスデザイン)研究室です。なので、ペルソナを作ることも多いのですが、教授がつくれっていったから作ってきた。なんて感じでいる人も多いのではないのでしょうか。またトヨタUDにおいて普段UCDと関わらないほかの分野の人たちと共同作業を行った時も、気をつけなければ作れって言われたから作りましたということになりかねないという気がしました。

ですので、UCDには6つの段階があり、それぞれの段階で具体的に何をして、どのようなことを調査すればよいのか、またその調査方法にはどんな種類のものがあり、それらの手法にはどのような長短があるのかといったことを理解できるようなツールが必要であると実感しました。

もちろん、上であげたようなことをきちんと理解している人もいるのですが、わかっていたとしても難しいというのが現状です。


これらの問題点をもとに、僕自身が使いたいがためにオリジナルツールを作成していくことにしました。一応冬休み中も作業はしていくつもりですが、春に行われる学外展示会の準備や卒研のブラッシュアップなどもあるので、完成は春休みくらいになるのかなと思っています。

春休み中にほぼ完成させ、一年間実際にプロジェクトなどで使用してみながら改良していくという流れにしたいと考え中。

ちょっと楽しみでもある。

2008年12月6日土曜日

ユニバーサルデザインについて 3 

昨今、金銭的な格差問題が取り上げられていますが、それと同じくらい今、情報の格差というものが起こっていうるといわれています。

テレビやラジオ、新聞といったマスメディア系のもの以外にも、WEBや携帯電話なんかがそこに入ってきたことで、プロフやmixiに代表されるようなブログ形式のものや、WEB2.0といわれるようなユーザー発信の情報というものが増えてきています。

そういった背景から、今までとは比べ物にならないほど世の中には情報があふれ、こちらからあえて情報を取得しに行かなければ得られない情報などもあり、情報収集に意欲的な人と。そうでない人の間に大きな格差が生まれるということらしいです。

また、情報を持たない人、知るすべを持たない人たちのことを情報弱者なんていう言葉で語るような場合もあります。

こういったPCなどにより情報を収集活用できる人と、PCを持たない、またうまく操作できない、インフラが整っていないなどさまざまな条件により情報の活用ができない人との間では、情報を持つ、持たないということで社会的な格差が生まれてしまうことをデジタルデバイドなんていったりするそうですが、情報の格差がそのまま社会的な格差(金銭やサービスの享受)へもつながるなんて話を聞いてしまうと、情報化社会なんてメディアの中でしか聞いたことのないような単語が事実、今の社会をきちんと表しているなと実感します。

また、情報を収集するだけで、そこから実際にその情報を使う人がどれほどいるかというとグンとパーセンテージは低くなりそうですね。

昨今、情報のユニバーサル化という話を耳にするのですが、このような背景があれば納得できるというものです。身体的な問題で、WEBを利用するのが困難なかたや、PCや新しいサービスにうまく適応できない人など様々な人がいるわけですから、その人にまず情報を入手できる環境を作ること。

そして、情報のUDとはその情報を活用するところまで範囲は及ぶ気がします。

①情報を入手する   デジタルな問題

②情報を活用する。  フィジカルな問題

この情報を活用するというところまでできなければ、ユーザーにとって歯がゆいままですよね。

また、情報の活用とは結局のところその多くがフィジカルな問題でもあったりします。
なんだフィジカルな問題であるなら、今までのパブリック的なUDでいいじゃないかと思われるかも知れませんが、この①と②の間をつなぐ1.5があるかないかがカギになってくると思います。

先ほど、情報を入手してから活用するまでに一気にパーセンテージは減るだろうという話をしたのですが、それは①と②をつなぐ間にはいくつもの障害があるからであると僕は思います。

たとえばそれは純粋に面倒くさいということかもしれないですし、
精神的なものかもしれません。
金銭的かもしれませんし、時間的な余裕や、手段の不足なのかもしれません。

情報に限らずUDという言葉はなぜかその場限りやその場しのぎの解決に向きがちであると思います。

たとえば、僕のいた高校ではエレベータがないのになぜか二階に車いす用のトイレがありました。
それはもしかしたら県立の高校だったので、条例的な問題で形だけ取り入れただけなのかもしれません。

①の部分だけのUDとはたとえばそれは
ECサイトで商品は見つけやすいけど、めちゃくちゃめんどくさい手順を踏まなきゃ購入できない。そんな状態なのかもしれません。

商品を見つけたあとの購入までやって初めて情報のUD化となるのかなと思いました。

2008年11月16日日曜日

第二回 情報デザインフォーラム

観察からリフレーミングについての話をする櫛先生


第二回情報デザインフォーラムが横浜はゲーテ座博物館で行われました。

今回は夏に行われた、情報デザインフォーラムのワークショップの成果発表という形になりましたが、その前に、京都工芸繊維大学の櫛先生から「リフレーミングとエスノグラフィー」という講演がありました。

リフレーミングとは、従来の定義(フレーミング)から一度抜け出して別の次元で再定義することだと、自分は受け取りました。

観察においての視点、軸を別に設けてあげるということにちょっと近いのかもしれません。

いままのでの観察というのは決められた定義の中で見ていたものを、リフレーミングすることで、観察から洞察へと変わっていくという話がありました。

そのためのツール、というか事例の一つとしてラピッドエスノグラフィーという話が出ました。

ラピッドプロトタイプのように、ビデオ撮影したものの再生を繰り返しその中から新たな再定義を起こすというものだと僕は受け取りました(違ったら突っ込み入れてください)

例に出てきたネガティヴ・シンパシーとポジティブ・シンパシーという言葉が印象に残ってます。


次に富士ゼロックス・デザイン部の蓮池さんから「ゼロックス社におけるエスノグラフィーの実践」という講義がありました。

社内の方を巻き込んでのエスノグラフィーの実践という話がおもしろかったです。

高機能コピー機はなぜその多くの機能を使われずにいるのかという話も興味深かったです。

いくつか社内で行っているデザインアプローチを紹介していただいたのですが、自分たちが普段やっていることと似ていて理解しやすい内容でした。

ただ、自分たちと違うのは、与えられた手法ではなく、作りながらのアプローチなので細部に自分たちなりのアレンジが加わっていたり、組織で使うためにより効率的に自社に適合した形にしていっているのかなという印象を持ちました。

既存のアプローチをそのまま使うのではなく、ケースバイケースでアレンジを加えていくのは見習うべきものだと感じました。


次に、とうとう、チームごとの発表に。

我らがCチームの成果物はこれです(字が読めるように大きめです)↓





ど~ん!!という感じで登場したこの色ものマップ。

このフィールドワークで見つけた気づきは

「山下公園はカップルのデートコースというイメージがあるけれど、実際にはおじさんたちもたくさんいて、親子連れやお昼寝するひとたちもそれぞれエリアごとにすみ分けている」

というものでした。

ワークショップの時の星をモチーフにしたマップから、素直にマッピングしたマップへいき、最終的にこのおじさんマップになりました。


たたき台1。

この段階ではまだ生の写真素材を使っていました。マップも平面的です。
フォローアップ講習会で、公園の緑のほうに意識が言ってしまうと指摘されます。




こちらはその後、素直に住み分けマップを作ってみたもの。
エリアごとの住み分けということでサファリパークのような感じでいってみようということに。

スタンダードなインフォグラフィックスという感じです。

でも、なんだろう?素直に言いたいことはわかるし、何となく言葉が通じなくても雰囲気はわかるのだけど、最初に自分たちが気づきの中に感じた面白さがなくなってしまった気がする。

見れば「うん、住み分けてるね」って言ってもらえるだろうけど、それでいいんだろうか?
自分たちの気づきを伝える手段にIGを用いるのならもっと行ってもいいんじゃないか?


それを追い求めることはデザイナーのエゴだろうか?

誰のためのデザインなんだろう?

でも、誰のためとかじゃなくて、今回のワークショップは気づいたことをIGに書き起こすって感じだしこれでもいいのかな?

しいて言うのなら、ゲーテ座に来てくれた人達に、自分達がやってきたことを伝えたほうがいいな。

なら、やっぱ最初の地図じゃなくて、おじさんたちが実は山下公園の陰の主役っていうギャップの面白さを伝えたほうがよさそうだな。

そんな葛藤の中、ぎりぎりまで作業して、このマップに行きつきます。


カップルや若者に負けずイキイキとどこか誇らしげに山下公園ライフを満喫するおじさんたち。

そんなコンセプトでチームみんなで作ってみました。

なんか作り上げた感はあります。


おまけ。個人的にお気に入りの自転車おじさん。没になった自分の出した案たち。


たたき台2.ためしに吹き出しにしてみたけど、最終案のほうが勢いがあっていいね。




今回、一番勉強になったのは、情報の扱い方でした

情報の扱い方、関係性。いろんなものを考慮してのIG。

いままでも意識していたつもりだったけど、こうやって実際にやってみるととまだまだ意識できてなかったんだと痛感させられました。

何より、他大学に仲のい友達ができたのも収穫としては大きいな。

本当に刺激をたくさんもらった気がする。

そんな感想しか今はでてきません。


何はともあれ皆さんお疲れ様でした。

2008年10月30日木曜日

たったひとりのためのデザイン。

30日はトヨタUDサブミーティングの三回目に出席するため、お台場はパレットタウンにあるユニバーサルデザインショーケースにいきました。


11月8日にファイナルプレゼンテーションが迫り、最後の調整となっています。

ワークショップではあるのですが、一応結果に順位が付きます。

そこで、見事一位になれれば特典があるわけでみんな頑張って追い込みの最中です。

昨日は僕がプレゼンテーションをしたのですが、なんとか無事に乗り切りホッとしている最中です。

先生方に質問されたときにパッと相手の望む答えが出せる。というのは、毎日のようにフィールドワークに出て観察を続けたおかげだなと痛感しました。

デザインとは観察から始まると前に言われたことがあるのですが、なるほど、実際に体験してみるとよくわかりますね。

講師の皆さんからは概ね良い評価を得られたように思います。

各チームのプレゼンテーションが終わると、今回の運営をしてくださっているトライッポッドデザインの中川さんから「たった一人のためのデザイン」という講義がありました。


プレゼンの中にもその単語が出てきたのですが、ペルソナを使ったUDのアプローチです。

タイトルにもあるとおり、たった一人のペルソナのためのデザインを追及することで、そのほかの人へも使いやすいものが出てくるのだそうです。

UDを実践していくにあたって、重要になってくるのがどれだけ暮らしの実態に迫ったかということです。
そういった意味でユーザーの飾り気のない生活を観察するというこはかなり大きなウェイトになってきます。

また、フィールドワークなどで発見した気づきですが、
一人を深堀することで気づきが進化するのだそうです。

この一文はペルソナを使ったデザイン提案をよく表していると僕は感じました。
ペルソナは足かせでなく、気づきを進化させるための情報でもあるのだと思います。

誰のためにデザインするかということを明確にするのがペルソナ手法であるといわれていますが、
ユーザーを明確にしたことで更なる発見や気づきの進化があるわけですね。

ここでは事例として脳性マヒによって指先がうまく使えない女性をずっとつきっきりで(コンテキスチュアルインクワイアリー法ですね)取材したときのことを出していました。


密着取材を続けていくうちに、その女性の本音は以下の三つであることがわかったそうです。

1.本当にかっこいい下着がほしい。

2.良い歯ブラシがほしい。


3.使いやすいお箸がほしい。



この中から3番の使いやすいお箸をデザインすることになりました。

ここでまず彼女と一緒に生活し、観察に入ります。
彼女は脳性マヒの影響で、右手の指を数本しか動かすことができません。

そんな状態でも、お箸を使って食事をしているそうです(使いこなすのに3年かかったそうです)

そんな彼女が今のお箸にもっている不満は以下のようなことでした。

・丸くないこと(机の下に転がってしまってはそこでおしまいだから)

・四角い箸を使っているが角が食い込んで指に負担がかかること(痛くなってしまう)


最初、デザイナーがバネがついたような食べることをアシストするお箸を提案したところ、彼女に即却下されたそうです。


・せっか
年もかけてお箸を使えるようになったのに、バネなんかついているのはやだ。

・お箸を使っている自分を格好よく見せてくれるものでなかったら使いたくない。



さらに彼女はこういったそうです。


「プロダクトデザイナーはすぐにバネとかついたものを作りたがる」



確かに、障害を持つ方のためのデザインと言うとそういったものを想像してしまいがちです。

そういったものが必要な人もいるとは思うのですが、何でもかんでもそういったスタンスで作ろうとするのがデザイナーのエゴ(決め付け)なのかなと思いました。

そのデザイナーの考えの中に実際に使うユーザーが決まっていない場合が多いのです。

だけど、ユーザーが明確であるから、そういったものにならなかった。

実際の本人からそれが却下されたということなのだと思います。

また、彼女に密着取材する上で、彼女のお箸の使い方が見えてきたそうです。

中でも興味深かったのが、挟むというタスクを立てて彼女にお箸を使ってもらっているときに、実際は行動の三割程度は刺しているということがわかったそうです。



ユーザーは自分の言葉や概念で物事を定義していると中川さんはおっしゃっていました。

ユーザーの中の定義と自分の中の定義が一緒であるという前提を無くさなければいけない。

ユーザーに対するヒアリングは大切ですが、こういった意識間のずれというものがあるので、そこを注意して情報を扱わないと大きな勘違いを起こしたままデザインをしてしまいそうです。


このようにプロトタイプの作成と評価を繰り返した結果できたお箸がこちらだそうです。




指が当たる部分がえぐれているデザインの箸です。
写真を見せてもらったのですが実際に協力者の方に渡したものはアクリル製の透明なものできれいでした。その方はいろんなところにもって行って見せびらかしてつかっているとか。


このお箸、使ってみたら自分たちでも使いやすかったので、提案してみたところ今ではJALの国際線のファーストクラスに使われているのだそうです。


ここで思います。
もし、最初に提案したバネつきのお箸だったなら、自分たちにも使いやすかったのでしょうか。
JALのファーストクラスに採用されていたでしょうか。

ユニバーサルデザインとは、魔法のように万能なイメージが先行して広まってしまいましたが、こういった地道な活動をもとに、日常の中にさりげなく存在していなければいけないのではないかと僕は思います。

使いやすさだけでなく、メンタルな、エモーショナルな部分をどう詰めていくか、実際の協力者(ペルソナ)とどうかかわっていくか。いろいろと勉強させられた一日でした。

2008年9月30日火曜日

情報の並列化

グループで作業をしていますと、たまに自分の知らない単語が出てきたりします。
そんな時に、すぐに「それってどういう意味?」って聞き返せるような人でいたいです。


最近では意識して聞くようにしているのですが、それでもたまに気後れしたり、タイミングを逃してしまうときがあります。


コンテキスチュアル・インクワイアリーのように、わからなかったらその場でその人に聞くということが大切な気がします。

それは自分が知らない単語を覚えるというだけでなく、グループ全体でその言葉の意味、定義を明確化して共有するということだと思うのです。

グループ活動においてペルソナが効果を発揮するのは、ユーザーに対して細部まで情報を共有できるからですが、ユーザー像以外にもグループで共有すべきことがあると思います。

それはたとえば、今出たような専門的な用語から、デザインの方針、姿勢などです。

そういった細かい部分こそ、初期の段階で全体で共有しておかなければあとあと大きなミスにつながったりするのではないかと思います。

デザインにおける上流工程と言われるような初期の段階での情報こそ、グループ全体で情報の並列化をしなければいけないのではないかと思うのです。

ペルソナはその並列化をするための一つの手段なのだと思いました。

2008年9月22日月曜日

横浜ワークショップ2008フォローアップ講習会

台風ですっかり風邪をひいて寝込んでいました、

親知らずを抜きました。

卒業研究も遅れ気味で、

ブログの更新も滞りなかなかうまくいかないこの頃です。


21日はワークショップ2008フォローアップ講習会へ参加するために新横浜へ。

フィールドワークをして得られた気づきをもとに横浜の地図を作るという一泊二日のワークショップだったのですが、自分たちは山下公園にいる人たちをテーマに利用者ごとの住み分けマップを作ろうとしました。

それでそのワークショップの最終提出したものがこれです↓


(CチームのMIXIコミュニティから拝借しました)

このときのコンセプトは、「山下公園を利用しているユーザーグループごとの山下公園のイメージを図示化するというものでした。




今日はインフォメーショングラフィックス(以下IG)に反映させるべきデータが前回のフィールドワークでは不十分で、集めきれていなかったので今一度調査をしようと朝早くアパートを出たのですが、横浜についてみれば台風直撃の土砂降りで、ひとの行動を観察しようにも、対象が野外のため人っ子一人いない状態でした。実際の調査から得た数値データを反映させるためカウンターまでかって張り切ってきた自分がバカみたいでした。


その後、諦めて新横浜の駅前で後輩と合流し、会場へとむかったのでした。

会場では、各チームがそれぞれ今後のアウトプットについてどうしようかとミーティングしたり、作業をしたりしていたのですが、その途中で、多摩美の吉橋先生にアドバイスを求めたときに言われたのが、

結局IGをつくったところで、「で、なんなの?」という部分が必要だということでした。

その名の通り、インフォメーションをグラフィックにするわけだからと。

山下公園の地図を作りました 



何を伝えたいのか(表現したいのか)



横浜のデートコースである山下公園には意外とおじさんたちが多くいろんな人たちが住み分けて利用している。



そのギャップや、知られていない事実を伝えたい。


とそう考えるのだそうです。

そう考えるだけでどんどんとアプローチの仕方が出てきます。

やはり自分たちがやりたいことの方向性を明確にすることで突破口が出てきたように思います。

ヴィジョンの明確化というのはやはりとても大切なことで、

勉強に完璧についていけなくなったときに

”何がわからないのかがわからない”


という状況に陥るのがいい例かと思います。


袋小路に追い込まれたときこそ、きちんと自分の中で情報の整理をして、ヴィジョンを明確にすることが大切なのではないかと思いました。

2008年9月18日木曜日

デザインのジレンマ。

デザイン活動をしていく上で、「それってデザイナーのエゴなんじゃないか?」と思うときがあります。

例えば、病院のシステムや、機器をデザインする時に面白いインタラクションや、造形ですと言われても実際にそこに長期入院している患者さんや、その家族、治療をする看護師や医師にとってそれがどれほど必要とされているかなんて思うと自分のコンセプトがひっくり返ってしまうときがあります。(友達の間ではコンセプトの崩壊なんていってますが)

よく学生なんだから奇抜なアイデアとか、自由な発想を求めるなんてことを言われたりするのだけど、患者さんたちの実情なんかを知れば知るほどコンセプトありきのデザイン(アドヴァンスドなものなど)を出していくことに引け目を感じることがあるのです。

ペルソナを使っている時も同様で、本当にそれがペルソナにとっていいものなのかと思うことが多々あります。

しかし、だからと言って問題を解決しただけのものをデザインしても、クライアントや、会社の上司からはいい顔はされない。

問題を解決するのは、別にデザイナーでなくてもできるからです。
これは友達からの受け売りですが、同様にコンセプトだけあってもそれは、アイデアを持った人ならだれでもできることなのだそうです。

ならデザイナーってなんなのだろうと考えていると、ユーザー(ペルソナ)にとって使いやすい、認知しやすい、心地よいというようなユーザーの目線と、既存の製品や、他社製品とは違うオリジナリティや造形的な美しさを上手くかみ合わせることができるそんな人のことを言うのだろうと思いました。

以前、ユニバーサルデザインについて勉強しているときに、ユニバーサルデザインはデザインマネジメントに似ているという感想を持ったことがあるのですが、それはデザイン全般にいえることなのかもしれませんね。

ここまで書いていて思い出したのですが、春ごろ、山崎先生がゼミでおっしゃっていた「三つの視点」の話を思い出しました。

それはプロのデザイナーとしてやっていく上で大切なことで、

自分の視点(自分の個性、作品のオリジナリティ)

ユーザーの視点(使いやすさ、心地よさ、他人の行動からの発見)

プロとしての視点(適切な手法やアプローチの方法、デザインを可能にするための技術)

の三つなのだそうです。

春ごろに何回かゼミで聞いていたはずなのに、こうして実際に苦しんでみるまですっかり忘れていました。それと共に、あの時教授のいっていたことを少し理解した気がします。

やはり、実感を伴わなければ知識だけあっても理解に達しないですね。

撒いた種が忘れたころに目を出したというところでしょうか。



関連記事

Smile Experience-プロデザイナーの三つの視点と合宿

2008年9月17日水曜日

ヴィジョンを持つ

以前、情報の再認識というエントリーでも書いたことなのですが、知識を得ることが決して理解に至るということではないのだなぁ、というのが最近の実感です。

知識 ≠ 理解   てことですね。

物事を理解するためには。知識と実感が必要になってくると思います。



料理に例えるなら、知識はレシピ、実感(体験)が調理、理解が料理になるという感じです。

レシピだけ知っていても、実際に何回も調理をしなければおいしい料理はできないってのと一緒なのかなと思います。

お味噌汁は沸騰させてはいけません。と言われても、実際に沸騰させて風味がとんだものを飲んだことがない人は、なんで沸騰させてはいけないのかわからない。



これってたぶん普段、自分たちが大学やゼミなどで学んでいることも一緒だと思うんですよ。

自分がいま何を勉強していて、それを学ぶことで将来的に自分がどうなるのかというヴィジョンがなければ、言われたからやってくるというようなそれはやはり勉強ではなくてただの作業なのだと思うのです。

また、ヴィジョンを持っていれば自分の行動した結果をヴィジョンと照らし合わせフィードバックをかけることができるのでやはり効率的ですね。

なにかソフトを覚えたくて教本だけ買ってきてもだめだけど、作りたいものがあって教本買ってきて作業をするとなぜかすんなり覚えられたりするのはきっと明確に作りたいもの(ヴィジョン)があるからなんだろうな。

2008年9月15日月曜日

思いやり。

以前、情報デザインフォーラム主催の横浜ワークショップ2008で、チューブグラフィックスの木村さんの講演でも何度か出てきたことなのですが。

デザインには思いやりの心が大切なのだそうです。

特にインフォメーショングラフィックスではそうだと。

製品やソフトウェアであれば、対象とするユーザーに対してどうあればいいかということを想像しながらデザインを進めていきます。

インフォメーショングラフィックスにおいてもそれはそのままあてはまり、見る人にとってどうすれば情報が伝わるかを考えるということにつながるのだそうです。

先ほど、先日の勉強会の写真をアップしたのですが、クリックすると解像度が大きく、見る人の立場になって考えられていない行為だなと自分のとった行動を反省したばかりなのでした。

それと同等にブログを始めて気づくことも多くあるのですがその中の一つに写真の扱い方があります。

ブログをする上で写真って要素はやっぱり大きくて、写真があった上での文章とない上での文章では読み手にとって印象は大きく変わります。

自分にとってのメモ代わりならいざ知らず、少なからず他人に自分の思っていることを伝えようとする際に、情報の共有をするためには実際のものがなければそれは果たされないのではないかということです。やっていることはペルソナと一緒ですね。

リートフェルトの赤と青の椅子に対して記事を書くときに、写真があるのとないのとでは、読み手にとって理解度は変わっていくと思います。

それはブログの内容にもつながっていって、初めてこのブログを見る人(情報デザインや、デザイン事態になじみのない人)にとっても読みやすい記事にすべきなのかなと思うことがあります。

わかっていることでも噛み砕いて分かりやすく記述するということは大切なことですから実践していくつもりです。

2008年9月13日土曜日

任意の点Pを探せ。

人が物事を評価する時にはいくつかのアプローチがあるのではないかと思いました。

例えば、Aという商品に対しての評価を下す際に

1.色が好きだから良い

2.流行っているから良い

3.テレビで言っていたから良い


4.Bに比べてAが良い


という四つの評価を下したとするとそれぞれ違った判断基準のもとに下された評価になります。
仮のこの判断基準を点Pとするときに




1番の”色が好きだから良い”は自分の経験を通しての主観的な判断になります。

純粋に造形や色の個人的な好みであったり、経験や習慣などからくる主観的評価になると思います。



2番の”流行っているから良い”は、自分がステータスを得る、もしくは周りみんなが持っているのだからいいものなんだろうという推測からの評価になります。ここではあくまでも判断基準は自分にあり、いったん世間的な流行と自分の現状とを照らし合わせての評価になるのではないかと思います。それは「これを持っているともてるんじゃないか」とか、「みんなが良いって言っているから買っても外れないはず」というようなものです。




3番の”テレビて言っていたから良い”は、他人の評価を自分の評価として取り入れている状態にあり、
「テレビで専門家がこう評価していたから」とか、「口コミサイトでいいって書いてあったから」といったようなAという製品を買うことに対する理由づけとしてつかわれるのではないかなと思いました。






最後に四番の”Bに比べてAが良い”という評価は、その場において見た目や機能などをAとBの間で比較して評価を下す形になっています。一対比較評価ですね。ここでの点Pは純粋に対処となるものの差異によって評価され、それを最終的に個人の好みや目的に照らし合わせて評価します。


インタビューやユーザー評価を行う際に、協力者に対して不必要な情報を与えることは先入観を与えてしまい良い評価を得辛くなるといわれますが、その先入観とは、きっとここでいう点P(判断基準)なのではないかなと思いました。

こうして考えてみると一対比較を行っている4番のような評価の仕方はあまりにも範囲が狭すぎて使いどころに困るなという印象を受けました。

「当社比30%増量」にしたって、あくまでも社内に「Aよりも30%少ないB」を用意すれば済んでしまう話なのであくまで主観的な話になってしまいます。

最終アウトプットまでにプロトタイプを三つ作り、そこからさらにひとつに絞り込むというときなんかには逆に簡単に評価できていいのでしょうけれど。

単純に手法や手順だけを覚えるのではなく、ユーザー評価などを行う際に、その下される評価がどういうロジックのもとに下されたものなのかを知ることって大切なのかもしれないですね。

2008年9月9日火曜日

情報の再認識。

今日、ある人のプレゼンを聞いていて思ったのは、

二次元であればある程度対等な位置関係も、三次元になるとずいぶんと距離感がでて上下関係のようなものがでてくるということです。

まぁ、距離感を出すために遠近法などが生まれたわけですが、身をもって実感するとまた違った感覚でそういったものごとをとらえている気がします。

最近、この実感するという感覚が頻繁に起こっている気がします。

いろんな講習会やワークショップなどで刺激をもらっているからなのかもしれないですが

知識として記憶していても、そこに実感が伴わなければ理解に至らないのだろうなと思うようになりました。

例えば、PDCAサイクルというものを僕は知っていましたが、先日のワークショップで寺沢先生の「何をみて、どう解釈し、何をつくりどう評価するか」という言葉を聞くまできちんと理解できていなかった気がします。

これらの実感は、大体自分にとって当たり前と思いこんでいるものの中に潜んでいて、自分が経験して得た知識に比べ、その情報に対しての非常に表面的な部分をさらっているだけな気がします。

それって言ってしまえば

「あの箱の中に猫がいるよ」と言われ、その伝え聞いた情報だけを鵜呑みにして箱の中身を確認していない状態なのではないでしょうか。

これらの実感に伴う再認識は”暗黙知”であったり、理解した気になっていた自分への発見なのかもしれないですね。


先ほども言ったように、これらの再認識は、自分の中で当たり前であったり、理解したつもりになっているものの中にあると思うので、最近は当たり前のことでもきちんと口に出すようにしています。

あたりまえだから見落としているということも多いですし、なにより言葉にして初めて理解できることも多い気がするからです。

しかし、この再認識がもし、ひとがより深く情報を知ろうとするための前提条件だとするのなら、事前に知識を得ておくことが大切なのかもしれません。

だとしたら、僕らは日常の中でもっと無意識に、

知識の獲得 → 経験→ 実感、再認識

というプロセスを行っているのかも知れません。


挑戦と失敗は人が何かを習得する時に必要な行為ですけれど、それってフィジカルな部分だけでなく知識や認識に理解に至るプロセスと変わらないのかもしれないですね。

情報に関して言えば、明確な失敗というものがあまりないから気付かないだけだったりして。