昨日、無事に大学を卒業することができました。
四月からは院へいくことになっているのですが、体調管理を第一にして頑張りたいとおもいます。
さて、卒業して四月の一日まではどこにも所属していない人間となったわけですが、さっそく研究室にてミーティングがありました。
昨年のトヨタUDワークショップ デザインインキュベーターの一環として、チーム「TOY CAST」名義でデザインしたものです。
何度かこのブログにも投稿したことがあるのでご存知のかたもいらっしゃるかもしれませんが、先日、代官山ヒルサイドテラスにて行われた学外展示会に出展した際にゲストとして来てくださった空想生活の方からアドバイスをいただき、空想生活に投稿してみることにしました。
テーマとしては「家族が使いやすい育児モビリティ」です。
なぜ母親ばかりが育児ノイローゼになるのか?といった育児に対する家族側からの考え方や、
駅の階段やエスカレーターなどのインフラ的問題。
現在のベビーカーに問題と、事故などを調べ、育児用の雑誌を成人をむかえた男三人で読み漁り、
インタビュー調査と、近隣のデパートへの観察、母子会への訪問、専門に研究されている大学の教授への訪問など、いまおもえば手探りでもう一年近くこのデザインにかかわっていることになります。
ペルソナ・シナリオ手法もつかいました。
空想生活のサイトには詳しいことを乗せられていないのですが、かけた時間分の資料などもあるのでちょいちょい出していこうかとおもっています。
もしよかったらクリックしてコメントなんかを残してくれるとうれしいです。
投票してくださるなお嬉しいです。小躍りします。
2008年11月23日日曜日
生活に根付いたデザイン。
日本という国で見た場合、デザイン振興を考えるのならばもっと生活に根付いたデザインが求められるのではないかと思う今日この頃です。
いいデザインに触れなければ、よいデザインであるかどうかすらわからない。
ユーザー自身のデザインへの視点を底上げしなければ、デザイナーの底上げも果たされない。
なら、やはりユーザーが日常的に使うものこそデザインされたものであるべきではなかろうかという思考ですね。
デザイン関係者やデザイナー同士で、
「君のデザインは最高だよ!!」
なんて褒めあっていたってなんにもなりません。
それは趣味でやればいいことな気がします。
無印良品という西友のプライベートブランドがありますが、このブランドの試みは非常に面白く感じています。
デザイン自体はちゃんとしたデザイナーにさせ、発売の際には一切それらの情報を売りにしない。
意図的にアノニマスなデザインを目指し、近所の女子高生や主婦たちがそれらのデザインされたプロダクトを日常の中で使っています。
デザイナーにデザインさせているのに、それを売りにしない。
デザインされていてもそれは突飛なものではなく、消費者の生活の中に根付く気づきである場合が多い。
だからこそ、受け入れられているのかもと思います。
また、そういったことをスーパーのブランドが行っている。
非常に身近でありながら、よいものを扱う。
無印良品とはよ食ったものだと思います。
なぜ、いまこれだけデザインという言葉が氾濫気味の世の中で、無印良品が売れているのか。
それはひょっとしたら消費者の目が肥えてきたということなのかもしれません。
アドヴァンスドなものや、新しいインタラクションデザインを求めることも大切なわけですが、それ以上に、もっと身近なものをデザインすることって大切なんじゃないのかと思います。
プルトップのデザインとか。
調味料の入れ物とか、素材そのものの形状とか。
例えばそういったものとかを試しにデザインしてみると、勉強になるかもと思った今日この頃です。
いいデザインに触れなければ、よいデザインであるかどうかすらわからない。
ユーザー自身のデザインへの視点を底上げしなければ、デザイナーの底上げも果たされない。
なら、やはりユーザーが日常的に使うものこそデザインされたものであるべきではなかろうかという思考ですね。
デザイン関係者やデザイナー同士で、
「君のデザインは最高だよ!!」
なんて褒めあっていたってなんにもなりません。
それは趣味でやればいいことな気がします。
無印良品という西友のプライベートブランドがありますが、このブランドの試みは非常に面白く感じています。
デザイン自体はちゃんとしたデザイナーにさせ、発売の際には一切それらの情報を売りにしない。
意図的にアノニマスなデザインを目指し、近所の女子高生や主婦たちがそれらのデザインされたプロダクトを日常の中で使っています。
デザイナーにデザインさせているのに、それを売りにしない。
デザインされていてもそれは突飛なものではなく、消費者の生活の中に根付く気づきである場合が多い。
だからこそ、受け入れられているのかもと思います。
また、そういったことをスーパーのブランドが行っている。
非常に身近でありながら、よいものを扱う。
無印良品とはよ食ったものだと思います。
なぜ、いまこれだけデザインという言葉が氾濫気味の世の中で、無印良品が売れているのか。
それはひょっとしたら消費者の目が肥えてきたということなのかもしれません。
アドヴァンスドなものや、新しいインタラクションデザインを求めることも大切なわけですが、それ以上に、もっと身近なものをデザインすることって大切なんじゃないのかと思います。
プルトップのデザインとか。
調味料の入れ物とか、素材そのものの形状とか。
例えばそういったものとかを試しにデザインしてみると、勉強になるかもと思った今日この頃です。
2008年11月21日金曜日
イノベーションとはなんだろう?
気がつけば、セイコーのPower design projectが出てました。
このプロジェクト結構好きで見ています。
今年は東京の町の名前がついた時計のようです。
以前、このプロジェクトの話を友人としていたときに思ったことがあります。
それはお客様にとってのデザインとデザイナーにとってのデザインはけっして同じではないということです。
このプロジェクト、あるデザイナーさんは「デザイナーのお遊び、おふざけ」と言います。
厳しい人なら「こんなものデザインじゃない」とまで言うそうですが……。
でも、それらはみんなデザイナー側の目線です。
一般のお客様、消費者からすれば立派にデザインされたものになります。
消費者の求めるデザインとはなんなのか?
今の世間の感じですと「他の人とは違う」というある種ブランド的なポジションにいる気がしてなりません。
造形によって付加価値をもたらすという意味ではいいのかもしれませんが、それだけがデザインではないはずです。
デザイナーズの商品はかっこいいけど使いづらい
と僕の友人たちはよく言います。
それが今の世間の人たちのデザインに対する感想なのかもしれません。
携帯電話のデザインなんかは特にそうですが、有名デザイナーの方が手がけたものほど町中で使う人を多く見かけるというこの矛盾。
携帯電話は確かに若い人のアイデンティティですからそうなるのもわかるのですけれどね。
常に持ち歩いて、友達の眼に触れることの多いツールですから納得です。
そのため、携帯電話の世界にはブランド携帯やデザイナーズ携帯、デコ電などなど他社と自分のものを差別化するものがたくさんあります。
最近ではデコレーションをするためにあえてフラットな携帯が売れているとか。
ブランド物でもデザイナーズのものでも大量生産しているわけですから、だれか同じものを持つ人がほかにいるのは当たり前です。
なので、メーカーには期待せず、自分でつくるデザイナー不要の流れに一部なってきているのだと聞きます。
企業としては儲けを出さなければいけないので、売れるものを作らなければいけないわけですが、だからと言って消費者の要望に答えていくだけではそこに発展性など求められない。
問題解決型のデザインから、消費者へ提案していくヴィジョン提案型のデザインへという流れになってきている気がします。
商品(プロダクト、環境、情報、サービスなどにたいしての)新たな価値や経験の創造、提案。
それが巷で話題のイノベーションというカタカナ語の一つの答えな気がしてなりません。
デザインとはデザイン関係者だけがわかる、賞賛するというものではない気がします。
イノベーションが新たな社会的な価値、経験の創造だというのなら、そのデザインは人々の生活に近くなければ果たされないでしょう。社会は人が集まって成り立っているわけですから。
また、逆を言えばイノベーションをする際に、消費者側に受け入れる土壌がなければイノベーションをしたところで成功はしないとも言えるかもしれません。
タッチパネルが浸透していなかったら、iphoneやDSは受け入れられなかったかもしれません。
イノベーションが開発側からのヴィジョンの提案であるならば、それを受け入れるための消費者の認知やインフラや文化、地域特性などの、また地球規模での環境問題すらもその範疇に入るべきでしょう。
イノベーションとカタカナで聞くとなんとも素晴らしく感じますが考えるべきことはたくさんありますね。
このプロジェクト結構好きで見ています。
今年は東京の町の名前がついた時計のようです。
以前、このプロジェクトの話を友人としていたときに思ったことがあります。
それはお客様にとってのデザインとデザイナーにとってのデザインはけっして同じではないということです。
このプロジェクト、あるデザイナーさんは「デザイナーのお遊び、おふざけ」と言います。
厳しい人なら「こんなものデザインじゃない」とまで言うそうですが……。
でも、それらはみんなデザイナー側の目線です。
一般のお客様、消費者からすれば立派にデザインされたものになります。
消費者の求めるデザインとはなんなのか?
今の世間の感じですと「他の人とは違う」というある種ブランド的なポジションにいる気がしてなりません。
造形によって付加価値をもたらすという意味ではいいのかもしれませんが、それだけがデザインではないはずです。
デザイナーズの商品はかっこいいけど使いづらい
と僕の友人たちはよく言います。
それが今の世間の人たちのデザインに対する感想なのかもしれません。
携帯電話のデザインなんかは特にそうですが、有名デザイナーの方が手がけたものほど町中で使う人を多く見かけるというこの矛盾。
携帯電話は確かに若い人のアイデンティティですからそうなるのもわかるのですけれどね。
常に持ち歩いて、友達の眼に触れることの多いツールですから納得です。
そのため、携帯電話の世界にはブランド携帯やデザイナーズ携帯、デコ電などなど他社と自分のものを差別化するものがたくさんあります。
最近ではデコレーションをするためにあえてフラットな携帯が売れているとか。
ブランド物でもデザイナーズのものでも大量生産しているわけですから、だれか同じものを持つ人がほかにいるのは当たり前です。
なので、メーカーには期待せず、自分でつくるデザイナー不要の流れに一部なってきているのだと聞きます。
企業としては儲けを出さなければいけないので、売れるものを作らなければいけないわけですが、だからと言って消費者の要望に答えていくだけではそこに発展性など求められない。
問題解決型のデザインから、消費者へ提案していくヴィジョン提案型のデザインへという流れになってきている気がします。
商品(プロダクト、環境、情報、サービスなどにたいしての)新たな価値や経験の創造、提案。
それが巷で話題のイノベーションというカタカナ語の一つの答えな気がしてなりません。
デザインとはデザイン関係者だけがわかる、賞賛するというものではない気がします。
イノベーションが新たな社会的な価値、経験の創造だというのなら、そのデザインは人々の生活に近くなければ果たされないでしょう。社会は人が集まって成り立っているわけですから。
また、逆を言えばイノベーションをする際に、消費者側に受け入れる土壌がなければイノベーションをしたところで成功はしないとも言えるかもしれません。
タッチパネルが浸透していなかったら、iphoneやDSは受け入れられなかったかもしれません。
イノベーションが開発側からのヴィジョンの提案であるならば、それを受け入れるための消費者の認知やインフラや文化、地域特性などの、また地球規模での環境問題すらもその範疇に入るべきでしょう。
イノベーションとカタカナで聞くとなんとも素晴らしく感じますが考えるべきことはたくさんありますね。
2008年11月1日土曜日
背景と華。


ついにデザイナーズウィークにはいりましたね。皆さんはもうどこかへ出かけられたのでしょうか。
僕は昨年から東京ミッドタウンで開かれる DESIGN TOUCHに参加するようにしています。
昨年の今頃 21-21DESIGN SIGHTにて行われた WATER展に連動して、
佐藤卓さんの「なぜデザインで水なのか」というカンファレンスを受けてすごく勉強になったので今年もこちらにきました。(外苑前もいいけれど、人ごみで帰ってきてからいったい何をみたのかなと思うことも多かったので、それだったら著名なデザイナーに習おうということにしました)
今年は四つほどカンファレンスの予約が取れたのですが、いろいろ急に予定が入ったりブッキングしてしまい友人にほとんど譲ってしまいました。
そのなかで、唯一いけたのが今日のデザインタッチのカンファレンスです。
「世界の名品に通じる無印良品の思想」という3時から7時30分までかかるかなり長いものでしたが、深沢直人さんの話が聞けると思い参加しました。
時間が一時間ほど余ったので今年からこちらでやるデザインタイドを見ました(こちらは後日機会があれば上げます)
まず、最初に会場に行って驚いたのが出演者のところに三名の名前が出ていたこと。
深沢直人
Konstantin Grcic
James Irvine
なんと有名なデザイナーが三人も集結していました。今回のカンファレンスの目玉だけありますね。
James Irvine、Konstantin Grcic、深沢直人さんの順にプレゼンをして、最後に三人でパネルディスカッションをして終了になりました。
James Irvineさんは、CHAIRS&CHOPSTICKS(椅子と割りばし)という、デザインが環境に適応して進化してきた歴史を紹介し、
Konstantin GrcicさんはA BICYCLE RIDE TO DESIGN(自転車に乗ってデザインの世界へ)というテーマでバウハウスから、マルセルプロイヤーがいかにカンティレバーを用いたかという話をしました。最後にKonstantin Grcicさんはこう言いました。
MUJIの美しさとはほかの製品と組み合わせたときに美しく映えるところにある、と。
最後は深沢さんが「世界の名品に通じる無印良品の思想」というテーマでプレゼンされました。
今までの二人のプレゼンテーションをうまくまとめあげるように導入していきます。
そんな中で以下のような言葉ありました。
シンプルとはスタイルのことではない。
ミニマリズムとはシンプルということではなく調和しているということである。
調和したデザインは、空気が変わる。何かいいと感じると深沢さんは言います。
それらをふまえた上で今回のエントリーのタイトルである背景と華という話に移っていきます。
もし、今の世の中に華美なデザイン(華)があふれているのなら、MUJIはそれらを際立たせるためのの背景に徹しなければいけない。
もし、みんなが前へ前へと出たがるのならばMUJIは退かなければならない。
それらはいうなればわきまえであると言える。
今の世の中にあふれるデザインに人々がつかれたとき、華美なデザインの対極にあるMUJIに今の人々は帰ってくるのかもしれない。
MUJIがいい
MUJIでいい
そんな風にお客さんは思っているのかもしれないと。
これはなかなかに考えさせられるお話でした。
よくMUJIはシンプルだといわれるが、それは時代が華美なデザイン、強烈なデザインを出してくる中であえて対極にいる存在がいるのではないかという考えに基づいているそうだ。
もし、この言葉どおりだとするのなら、時代がシンプルなデザインに収束するのであればきっとMUJIは挑戦的で、革新的なデザインへと移行していくのでしょう。
そんな話の中で深沢さんはいくつかのMUJIのデザインを事例にあげて説明していきます。

この空気清浄機は、ドアや部屋についている通風口のブラインド部分をメタファにしている。MUJIが目指すのはあくまでも背景である。でも、その中にもみんながなっとくするなるほどというものがなければいけない。
普段はそのものに対して大して認識していないが、体がしっかり知っている。
慣れ親しんでいるものがデザインのソースになっている。
それがMUJIらしさである。と深沢さんは言います。

有名な深沢直人さんのMUJIの壁掛け式CDプレイヤーです。
正直いって今日まで僕はこのプロダクトがあまり理解できませんでした。
よく、これは換気扇に例えられ、一見すればただの面白商品になりかねません。
でも、パネルディスカッションの際にJames Irvineさんがこういったのです。
「このCDプレイヤーは一曲聞き終わらなくても好きなときにつけ、消すことができる」
その言葉を聞いたときに僕は感じました。
このプレイヤーは換気扇なんかではなくきっと、部屋の電気にちかいものなのだと。
そう考えることで、なんか納得してしまいます。
部屋にはいって、部屋の電気をつけるような感覚で、心理的にもシームレスに生活の中に音楽を組み込む。
それこそがこのデザインの魅力なのかもしれないと。
多分、僕がこの壁掛けCDプレイヤーのある部屋に入ったら引っ張ってしまう。
明確に使用シーンが描けることで一気にプロダクトが魅力的に思えてしまうから不思議ですね。
最後に深沢直人さんはこういってプレゼンテーションをしめました。
世界の名品はMUJIに通じる。
背景と華という話はとても面白く、プロダクトメインで考えるのではなく、ほかとの調和を考えるという思想には感じるものがありました。
すごく面白い刺激をもらった気がします。
普段、なかなか聞けないMUJIの中の話も聞けて非常に興味深い一日でした。
2008年10月19日日曜日
squeak 第一回ワークショップ

武蔵野工業大学 横浜キャンパスまでsqueakのワークショップに参加してきました。
squeakといえば、発展途上国の子供たちがコンピューターに親しむ為に行われているOne Laptop Per ChildというプロジェクトのXO(通称100ドルノートPC)に入っている子供でも簡単にプログラミングを組めるソフトです。
以前に名前だけは聞いたことがあったので今回の参加となりました。

会場で、マックブックをお借りして、準備をしていると高橋靖先生とばったり会いました。
隣の席に並んで一緒に講義をうけました。

デザインにどうやって落とし込んでいこうかという話になり、おおざっぱな使い方としては、動きを確認するためのプロトタイプの製作には向きそうだという結論に。
フラッシュと違ってアクションスクリプトをいちいち打ち直さなくても改良できる点がつかいやすいという意見も出ました。写真は緑色の円の上を赤色の虫がはみでないように動き続けるというもの。

お昼休み。
食堂で持参した昼食を食べる。大きなピアノが置いてあったけど、食堂で演奏されたりするのだろうか。
明るく、きれいな感じの食堂でした。

みんなで問題を解決中。
大人がみんなで助け合ってる中、小学生くらいの子供は勝手に上達していくらしい。
子供の吸収能力って凄いらしいですね。一番素晴らしいことは失敗をおそれないことなのかも。

その後は小池先生の研究室で懇親会。
スクイークを高校教育やデザインの世界でどう生かしていけるかというような話に。
その後、小池先生が噂の100ドルノートPCを見せてくれました。
高橋先生のカメラさばきは顕在でした。

100ドルPCは思いのほかしっかりしていて高性能でした。
スクイーク以外にもペイントや作曲ツールなんかも入っていました。
ボディも頑丈に作られており、製作者側の意図がところどころに見受けられてなんか感心。

キーは一体型のシリコンカバーで覆われていてやさしいさわり心地。多少の汚れや水分なんてなんのその。

ネットワークの検索画面。非常に可愛い表示の仕方。

蓋を閉じた状態。このとってを持って友達のうちや、外へ遊びに出かけるのでしょうか。

とっての一部。ロゴマークがさりげなくつかわれているのが憎い。
津田沼からはそれなりに遠かったですが、教育という面でデザインってどうかかわっていくべきなのかななんてちょっと考えさせられる一日でした。
2008年9月7日日曜日
取り残されたリモコン。
少し間があいてしまいましたが、ここ数日実家へ帰っていました。
実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。
アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。
大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、
タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。
テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。
ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。
よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。
このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。
リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。
実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。
アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。
大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、
タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。
テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。
ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。
よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。
このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。
リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。
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