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2009年2月13日金曜日

ゴールの周りには?

どうもお久しぶりです。

一か月ほど更新が止まっていました。

というのも、正月から

風邪→インフルエンザ→ノロウィルス→以前続く体調不良という悪循環に陥って大学にもあまりいけない状態であり、かつ身の回りで不幸やトラブルの連続。

本気でお祓いを考えている今日この頃です。



さて、以前書こうとしていた話を書こうと思います。

少し前に、プレイアラウンドというはなしをききました。

これはココカラハジマルの藤崎圭一郎さんが以前エントリーで書いていたことです。

藤崎さん自身はSOCCAの松下計さんの講演で聴いたお話だそうです。

プレイアラウンドとは読んで字の通り。周りで遊ぶこと。


一直線にゴールを目指すのではなくゴールの周辺でいったん遊んでみることを言うのだそうです。

それはいわばデザインの幅を広げることであり、現状を客観的にみるきっかけなのかも知れません。


それはいわばスピンオフのきっかけかも知れませんし、可能性の発見かもしてません。

デザインでいうなれば最終的なデザインを見据えながらあえてその派生を探るといった形になるのかもしれないですね。


デザインをしていくとただひたすらに視野が狭くなるときがありますが、その視野を楽しみながら広げるいい方法かもしれません。具体的な方法なども考えていくと面白いかもしれないですね。





2008年10月18日土曜日

学校という場。

先日、隣の研究室のkazukiさんと話していた時にデザインの領域という話になりました。

ここでいう、デザインの領域とは、その人の持つバックボーンとでもいいましょうか。その人の経験してきたこと、体験してきたこと、知識、知恵、などデザインに反映されるであろう要素の集合体とでも言ったら理解してもらえるでしょうか。

その領域が小さければデザインの幅も小さく、大きければデザインの幅も広がる可能性があります。

それはあくまで可能性で、その幅を目一杯広げて有効活用するには技術や訓練がいるからです。

それを僕たちは大学や専門学校で学んでいるのだと僕は思っています。



エリオット・ノイスが大切なのは心のクオリティだと言っていたと10月号のAXISでゴードン・ブルース氏が言っていました。幅広い経験があればあるほど心は幅広くなるのだそうです。

ここではゴードン・ブルースは「情報は便利ですが、実践を伴った情報は叡智となる」と述べています。

これは以前、情報の再認識ヴィジョンを持つというエントリーで自分が言いたかったことで、

それをする時期がおそらくは今であり、それを体験できるのがおそらくは学校というものだと思います。

勉強や経験は社会に出てからもできると思います。むしろ社会に出てからのほうが多いかもしれません。

でも、時間をかけて、何かあったら質問できる人が身近にいて、あわよくば実践の機会が与えられる。学ぶための専門の場なのですから。


そんな場所で僕たちは、心のクオリティを日々磨いていくのだと思うのです。
どう磨くかは個人次第。

そういう場所が学校なのだと僕は思います。


話は少し変わりますが、外部の方に研究室におこし頂くとよく、

「君たちは本当に恵まれているね」と言われます。


僕自身、今の研究室は本当に贅沢な場だと実感しています。
著名な方にきていただいてお話を聞く機会をいただいたり、外との交流の場をもらったり、実践の機会をいただいたり、書物や資料も多く、環境を整えてもらっている。おまけにコーヒーと紅茶は飲み放題 笑 

なんて最高な環境でしょうか。

教授の理解もあり、隣の研究室とは仲良くしてもらっているし、ロジカルなことや感性的なことを親切に教えてもらえる。


でも、環境が整っていようとそこにいる人が動かなければ意味がない。

ここでは僕たち生徒次第であると思います。

自分のいる環境の贅沢さにいかに気づけるか。
自分の今いる環境にいかに気づけるか。

それこそが多分、学校という中で生徒が動き始めるためのキーポイントの一つな気がします。

僕自身、環境を用意してもらっている以上、すこしでも成長していきたいなと思うこの頃です。

2008年10月8日水曜日

クリエイティビティの行方。

最近、卒業研究の中間成果発表などでなかなか時間が取れなかったのですが、今日でやっと一段落です。

最近、感じたことを少し書こうかと思います。


それは発表されないアイデアにどれほどの価値があるのだろうかということです。

例えばタイムリーなものでいえば、うちの学科は工業系のデザイン科という少し変わったポジションなので、卒業制作や卒業論文でなく基本的には卒業研究という名目で四年次の卒業資格を得ることになります。

その最終成果物は、なにかものとして成果物をつくるか論文を書くか、またはその両方かになります(大体の生徒が両方を選択します)

今の一年生は違うのですが、自分たちの台は学科内5コースあり、それぞれ様々な特色をもって活動しています。

工業系のデザイン科ということで、そういった色も濃く今もなお実験や検証を重点的にする人も多いのです。

そういった人たちはどちらかというと研究者としての人で、最終成果物が論文のみという人も多いです。

もちろん、そういったことがとても大切なことも理解していますし、必要なことだと思うのですが、研究者という職業柄なのか研究した結果、

「で、どうなるの?」

という部分が考えられていない部分が多い気がします。

最近、いろんな研究者の人とお話しする機会が多かったのですが、大体の方が、自分のやりたいことに後付けで社会的な意味を見出そうとしていました。

大人の方でさえそうなのに、まして学生の論文にそういったことがきちんと考えられている人がすくないです。

以前、情報デザインフォーラムで、多摩美の吉橋先生にIGはその情報でなにを伝えたいのかがポイントといっていましたが、それってほとんどすべてのことにつながる気がするんです。

因果律ではないですが、原因があって結果があるというのと同じですよね。

自分のやった研究の成果が、社会や人に対してどうかかわって、どうやって活用されるのか。

自分の行った行動がどんな風に、誰を、どんな状況で幸せにするのか。

それをするためにどうしたらいいのかということだと思うのです。

研究をするだけして、外に出さなかったら意味がないと思います。

このことに関して、「研究者には研究者のクリエイティビティがある」ということを言われたことがあるのですが。そのクリエイティビティもアウトプットして、ひとに評価されて初めて生まれるものな気がしてなりません。

以前のエントリーでヴィジョンを持つでも書いたことなのですが、結局のところ自分がどのように社会にかかわっていくことなのかを意識できていないことがまずいんじゃないかと思います。

自己満足でいいのなら、デザイナーである必要性はなくなってくるのではと。


後付けですらそういったことが考えられていないということはつまり自分が社会にかかわっていくことを想定していないことだと思うのです。


クリエイティビティって、アウトプットして、ひとの眼に触れ、評価をうけて初めて成り立つのではないかと思いました。

2008年9月30日火曜日

情報の並列化

グループで作業をしていますと、たまに自分の知らない単語が出てきたりします。
そんな時に、すぐに「それってどういう意味?」って聞き返せるような人でいたいです。


最近では意識して聞くようにしているのですが、それでもたまに気後れしたり、タイミングを逃してしまうときがあります。


コンテキスチュアル・インクワイアリーのように、わからなかったらその場でその人に聞くということが大切な気がします。

それは自分が知らない単語を覚えるというだけでなく、グループ全体でその言葉の意味、定義を明確化して共有するということだと思うのです。

グループ活動においてペルソナが効果を発揮するのは、ユーザーに対して細部まで情報を共有できるからですが、ユーザー像以外にもグループで共有すべきことがあると思います。

それはたとえば、今出たような専門的な用語から、デザインの方針、姿勢などです。

そういった細かい部分こそ、初期の段階で全体で共有しておかなければあとあと大きなミスにつながったりするのではないかと思います。

デザインにおける上流工程と言われるような初期の段階での情報こそ、グループ全体で情報の並列化をしなければいけないのではないかと思うのです。

ペルソナはその並列化をするための一つの手段なのだと思いました。

2008年9月18日木曜日

デザインのジレンマ。

デザイン活動をしていく上で、「それってデザイナーのエゴなんじゃないか?」と思うときがあります。

例えば、病院のシステムや、機器をデザインする時に面白いインタラクションや、造形ですと言われても実際にそこに長期入院している患者さんや、その家族、治療をする看護師や医師にとってそれがどれほど必要とされているかなんて思うと自分のコンセプトがひっくり返ってしまうときがあります。(友達の間ではコンセプトの崩壊なんていってますが)

よく学生なんだから奇抜なアイデアとか、自由な発想を求めるなんてことを言われたりするのだけど、患者さんたちの実情なんかを知れば知るほどコンセプトありきのデザイン(アドヴァンスドなものなど)を出していくことに引け目を感じることがあるのです。

ペルソナを使っている時も同様で、本当にそれがペルソナにとっていいものなのかと思うことが多々あります。

しかし、だからと言って問題を解決しただけのものをデザインしても、クライアントや、会社の上司からはいい顔はされない。

問題を解決するのは、別にデザイナーでなくてもできるからです。
これは友達からの受け売りですが、同様にコンセプトだけあってもそれは、アイデアを持った人ならだれでもできることなのだそうです。

ならデザイナーってなんなのだろうと考えていると、ユーザー(ペルソナ)にとって使いやすい、認知しやすい、心地よいというようなユーザーの目線と、既存の製品や、他社製品とは違うオリジナリティや造形的な美しさを上手くかみ合わせることができるそんな人のことを言うのだろうと思いました。

以前、ユニバーサルデザインについて勉強しているときに、ユニバーサルデザインはデザインマネジメントに似ているという感想を持ったことがあるのですが、それはデザイン全般にいえることなのかもしれませんね。

ここまで書いていて思い出したのですが、春ごろ、山崎先生がゼミでおっしゃっていた「三つの視点」の話を思い出しました。

それはプロのデザイナーとしてやっていく上で大切なことで、

自分の視点(自分の個性、作品のオリジナリティ)

ユーザーの視点(使いやすさ、心地よさ、他人の行動からの発見)

プロとしての視点(適切な手法やアプローチの方法、デザインを可能にするための技術)

の三つなのだそうです。

春ごろに何回かゼミで聞いていたはずなのに、こうして実際に苦しんでみるまですっかり忘れていました。それと共に、あの時教授のいっていたことを少し理解した気がします。

やはり、実感を伴わなければ知識だけあっても理解に達しないですね。

撒いた種が忘れたころに目を出したというところでしょうか。



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