2008年9月17日水曜日

ヴィジョンを持つ

以前、情報の再認識というエントリーでも書いたことなのですが、知識を得ることが決して理解に至るということではないのだなぁ、というのが最近の実感です。

知識 ≠ 理解   てことですね。

物事を理解するためには。知識と実感が必要になってくると思います。



料理に例えるなら、知識はレシピ、実感(体験)が調理、理解が料理になるという感じです。

レシピだけ知っていても、実際に何回も調理をしなければおいしい料理はできないってのと一緒なのかなと思います。

お味噌汁は沸騰させてはいけません。と言われても、実際に沸騰させて風味がとんだものを飲んだことがない人は、なんで沸騰させてはいけないのかわからない。



これってたぶん普段、自分たちが大学やゼミなどで学んでいることも一緒だと思うんですよ。

自分がいま何を勉強していて、それを学ぶことで将来的に自分がどうなるのかというヴィジョンがなければ、言われたからやってくるというようなそれはやはり勉強ではなくてただの作業なのだと思うのです。

また、ヴィジョンを持っていれば自分の行動した結果をヴィジョンと照らし合わせフィードバックをかけることができるのでやはり効率的ですね。

なにかソフトを覚えたくて教本だけ買ってきてもだめだけど、作りたいものがあって教本買ってきて作業をするとなぜかすんなり覚えられたりするのはきっと明確に作りたいもの(ヴィジョン)があるからなんだろうな。

2008年9月15日月曜日

思いやり。

以前、情報デザインフォーラム主催の横浜ワークショップ2008で、チューブグラフィックスの木村さんの講演でも何度か出てきたことなのですが。

デザインには思いやりの心が大切なのだそうです。

特にインフォメーショングラフィックスではそうだと。

製品やソフトウェアであれば、対象とするユーザーに対してどうあればいいかということを想像しながらデザインを進めていきます。

インフォメーショングラフィックスにおいてもそれはそのままあてはまり、見る人にとってどうすれば情報が伝わるかを考えるということにつながるのだそうです。

先ほど、先日の勉強会の写真をアップしたのですが、クリックすると解像度が大きく、見る人の立場になって考えられていない行為だなと自分のとった行動を反省したばかりなのでした。

それと同等にブログを始めて気づくことも多くあるのですがその中の一つに写真の扱い方があります。

ブログをする上で写真って要素はやっぱり大きくて、写真があった上での文章とない上での文章では読み手にとって印象は大きく変わります。

自分にとってのメモ代わりならいざ知らず、少なからず他人に自分の思っていることを伝えようとする際に、情報の共有をするためには実際のものがなければそれは果たされないのではないかということです。やっていることはペルソナと一緒ですね。

リートフェルトの赤と青の椅子に対して記事を書くときに、写真があるのとないのとでは、読み手にとって理解度は変わっていくと思います。

それはブログの内容にもつながっていって、初めてこのブログを見る人(情報デザインや、デザイン事態になじみのない人)にとっても読みやすい記事にすべきなのかなと思うことがあります。

わかっていることでも噛み砕いて分かりやすく記述するということは大切なことですから実践していくつもりです。

2008年9月13日土曜日

勉強会:長藤寛和さん






9月12日は長藤寛和さんが千葉工業大学まで講演会をしに来てくださいました。
(自分の所属している山崎研究室は月に一回から二回、外部のデザイナーさんを招いての勉強会があります。学生のうちからこんなに頻繁に外部の方と交流を持てるのは恵まれた環境ですね)

長藤さんは千葉工業大学のOBだそうなので先輩デザイナーさんの勉強会は今回が初めてになります。

講演会では、学生時代にやった学校の課題から、卒業してフリーになり現在の事務所を設立するまでの作品を見せていただきました。

長藤さんは学生時代にフラッシュを使った自分の所属しているデザインユニットのウェブサイトをつくり、そのサイトはメディア芸術祭で賞をもらったとか。

モーションダイブというVJのソフトを作ったり、映画の製作に参加されていたりするのですが、そのほとんどをフラッシュを使って作っているそうです。

実際に作品をいくつか見せていただいたのですが、フラッシュという普段自分たちが使っているソフトがいかに優秀で、自分たちが使いこなせていないのかを感じました。

日々精進ですね。


ご自身の事務所のCIの製作過程を見せていただいたのですが、参考になることが多かったです。

なかでも、CIの取扱説明書を作るというのは自分には新鮮でした。(プロはみんなやっているのかもしれないですが)

CIのようなブランドイメージを持つものにたいして、使い方のルールや、規格を設定しておくというのも作っておわりではなくて、その後のことまでちゃんと考えた上でのデザインだろうなと感じました。

講演会のあとは、研究室で懇親会という名の飲み会が始まります。

お酒の席ではそれぞれ入り乱れて好き勝手に話をするのですが、ここでもディープな話が聞けるのが面白いですね。

今日いらっしゃったお客さんたちはみんな今の仕事を楽しんでいる感じがして、飲み会の片づけをしながらあんな大人になりたいねと研究室の友達と話していたのでした。

今日のメモ

CIは作った後のことも考えて作る。
学生はウェブサイトを作って、作品公開すると、そこを窓口にいろんなつながりができる。
大学時代の友人関係は、社会人になってもつながっていくよ。


長藤さんの事務所のウェブサイトです↓

KANWA NAGAFUJI DESIGN

任意の点Pを探せ。

人が物事を評価する時にはいくつかのアプローチがあるのではないかと思いました。

例えば、Aという商品に対しての評価を下す際に

1.色が好きだから良い

2.流行っているから良い

3.テレビで言っていたから良い


4.Bに比べてAが良い


という四つの評価を下したとするとそれぞれ違った判断基準のもとに下された評価になります。
仮のこの判断基準を点Pとするときに




1番の”色が好きだから良い”は自分の経験を通しての主観的な判断になります。

純粋に造形や色の個人的な好みであったり、経験や習慣などからくる主観的評価になると思います。



2番の”流行っているから良い”は、自分がステータスを得る、もしくは周りみんなが持っているのだからいいものなんだろうという推測からの評価になります。ここではあくまでも判断基準は自分にあり、いったん世間的な流行と自分の現状とを照らし合わせての評価になるのではないかと思います。それは「これを持っているともてるんじゃないか」とか、「みんなが良いって言っているから買っても外れないはず」というようなものです。




3番の”テレビて言っていたから良い”は、他人の評価を自分の評価として取り入れている状態にあり、
「テレビで専門家がこう評価していたから」とか、「口コミサイトでいいって書いてあったから」といったようなAという製品を買うことに対する理由づけとしてつかわれるのではないかなと思いました。






最後に四番の”Bに比べてAが良い”という評価は、その場において見た目や機能などをAとBの間で比較して評価を下す形になっています。一対比較評価ですね。ここでの点Pは純粋に対処となるものの差異によって評価され、それを最終的に個人の好みや目的に照らし合わせて評価します。


インタビューやユーザー評価を行う際に、協力者に対して不必要な情報を与えることは先入観を与えてしまい良い評価を得辛くなるといわれますが、その先入観とは、きっとここでいう点P(判断基準)なのではないかなと思いました。

こうして考えてみると一対比較を行っている4番のような評価の仕方はあまりにも範囲が狭すぎて使いどころに困るなという印象を受けました。

「当社比30%増量」にしたって、あくまでも社内に「Aよりも30%少ないB」を用意すれば済んでしまう話なのであくまで主観的な話になってしまいます。

最終アウトプットまでにプロトタイプを三つ作り、そこからさらにひとつに絞り込むというときなんかには逆に簡単に評価できていいのでしょうけれど。

単純に手法や手順だけを覚えるのではなく、ユーザー評価などを行う際に、その下される評価がどういうロジックのもとに下されたものなのかを知ることって大切なのかもしれないですね。

2008年9月9日火曜日

情報の再認識。

今日、ある人のプレゼンを聞いていて思ったのは、

二次元であればある程度対等な位置関係も、三次元になるとずいぶんと距離感がでて上下関係のようなものがでてくるということです。

まぁ、距離感を出すために遠近法などが生まれたわけですが、身をもって実感するとまた違った感覚でそういったものごとをとらえている気がします。

最近、この実感するという感覚が頻繁に起こっている気がします。

いろんな講習会やワークショップなどで刺激をもらっているからなのかもしれないですが

知識として記憶していても、そこに実感が伴わなければ理解に至らないのだろうなと思うようになりました。

例えば、PDCAサイクルというものを僕は知っていましたが、先日のワークショップで寺沢先生の「何をみて、どう解釈し、何をつくりどう評価するか」という言葉を聞くまできちんと理解できていなかった気がします。

これらの実感は、大体自分にとって当たり前と思いこんでいるものの中に潜んでいて、自分が経験して得た知識に比べ、その情報に対しての非常に表面的な部分をさらっているだけな気がします。

それって言ってしまえば

「あの箱の中に猫がいるよ」と言われ、その伝え聞いた情報だけを鵜呑みにして箱の中身を確認していない状態なのではないでしょうか。

これらの実感に伴う再認識は”暗黙知”であったり、理解した気になっていた自分への発見なのかもしれないですね。


先ほども言ったように、これらの再認識は、自分の中で当たり前であったり、理解したつもりになっているものの中にあると思うので、最近は当たり前のことでもきちんと口に出すようにしています。

あたりまえだから見落としているということも多いですし、なにより言葉にして初めて理解できることも多い気がするからです。

しかし、この再認識がもし、ひとがより深く情報を知ろうとするための前提条件だとするのなら、事前に知識を得ておくことが大切なのかもしれません。

だとしたら、僕らは日常の中でもっと無意識に、

知識の獲得 → 経験→ 実感、再認識

というプロセスを行っているのかも知れません。


挑戦と失敗は人が何かを習得する時に必要な行為ですけれど、それってフィジカルな部分だけでなく知識や認識に理解に至るプロセスと変わらないのかもしれないですね。

情報に関して言えば、明確な失敗というものがあまりないから気付かないだけだったりして。

2008年9月7日日曜日

取り残されたリモコン。

少し間があいてしまいましたが、ここ数日実家へ帰っていました。

実家に帰ったところ、家のテレビが壊れたらしく、父親がここぞとばかりにアクオスに買い替えていました。

アクオスと言えば、喜多俊之さんがデザインしたことで有名ですね。

大画面テレビをインテリアにするといううたい文句通り、確かにテレビ自体は奇麗だとおもうのですが、

タイトルにもあるとおり、最近気になるのはテレビのリモコンです。

テレビ本体が高級感あるインテリアなのに、高級大型テレビのリモコンはずいぶんとチープな感じが否めない気がします。

ブランディングとかそういったことにもつながってくるのだろうけれど、それ以上に家庭の中にはリモコンは一つだけではないですからどのリモコンがどの製品のものなのかというのがパッと見でわかるようになっていてくれると有難いのになぁと思ったのでした。

よくペルソナの話をするときに、インターフェイスと、プロダクトの外観をデザインする人間がそれぞれ自分勝手に、対象ユーザーをきめてデザインするので、そこにデザインの齟齬が生まれるというような話を聞くのですが、そんな話を思い出しました。

このリモコンのデザインの場合は、ほかにも予算とか関係してくるのかもしれないけれど。

リモコンも立派なインターフェイスなのに、なんか取り残されている気がします。

2008年9月1日月曜日

時間の活用。

本日は朝から晩まで、12時間以上も学校で作業をしていました。

自分が今かかわっているプロジェクトは何個かあるのですが、本日の作業はその中の一つの、トヨタユニバーサルデザインワークショップのミーティングが二日にあるため、夏休み中に分析したもののまとめをしてきました。

このプロジェクトは、自分の研究室と、隣の感性デザインの研究室、それと三年生の有志が参加しており三人で1チームになっています。

フィールドワークやオブザベーションから始まり、PPPチェックシートをもとにした既存の製品に対するヒューリスティック的な簡易評価や、筑波大の先生のところへ訪問してのインタビューなど、GDEやその他のプロジェクトでなかなかほかのメンバーとも日程が合わないのに、実は結構このプロジェクトに関しては着実に物事を進めていたんだなぁというのが振り返ってみての感想でした。

時間の活用というタイトルのエントリーなのですが、この間のワークショップでも言われたことで、限られた短い時間のなかでも効率のいい作業の仕方と、同じ時間をかけてクオリティの高いものを作るやり方ってのがあって、ちゃんとそこを抑えるべきだといおしかりをいただいていたのに、なぜかこのチームではミーティングをすると必ず12時間くらいの作業をすることになります。

現場監督的に作業を見守る役をキチンとつくるべきなのかもしれないですね。

時間を有効的に使うということと、クオリティを上げるということは密接に関係しているのですから、
普段から、時間を有効的に使うことを意識することが、自分を成長させるための近道にも思えます。

タイムキーパーではないけれど常に時計を意識するというのは大切なことですね。